2021年4月6日火曜日

活字中毒者の妄言-12


■出版社好き嫌い

書籍を求める時、先ず何を題材にしているのかで選択するのは誰でも共通だろう。次いで書き手となるが、小説の場合は逆もある。私の場合ジョン・ル・カレに代表されるサスペンス作家や一部の随筆家がこれに相当するが、つまり作者最優先である。しかし最近はほとんどそのケースはない。ノンフィクションの場合は、おおむね題材、著者、出版社の順序で決める。今回は、極めて独断と偏見であるが、好みでは最後になる出版社ついて書いてみたい。


単行本(ハードカヴァー)ノンフィクションはほとんど軍事・戦史・外交・乗り物・伝記・IT・数理に限られ、その他の分野は圧倒的に新書である。何と言っても入門編としてはこれほど手軽に未知のあるいは好奇心を掻き立てられる分野の知識が得られるものはない。この新書、我が国における嚆矢は岩波新書、戦前の発刊であることは以前本欄で触れた。しかし、中公新書が出たころから、続々と新書創刊が続き、今では主要出版社で新書を出していないところを見つけるのが難しいくらいだ。私の本棚にも、前2社の他、新潮、文春、講談社、光文社、角川、集英社、筑摩、PHP、幻冬舎などの新書が溢れかえっている。この大量の新書本を通じて出版社に対する好みが出来上がったように思う。

一番古くから現在まで続き、量もそれなりに多いのは岩波新書。絶対量最大は中公新書、岩波に比べ主義主張が抑え目なのが、初学者には良い。最近急速に講読量が増えているのは新潮と文春、今日的話題性追求ではアンテナ感度が高い。意外と歯ごたえがある作品が多いのが講談社。光文社、角川、集英社はジャンルを限っているのか、掘り出し物を探す感じで特定分野に限られる。筑摩は最も教養色が強く冊数は少ないが評価は高い。PHPと幻冬舎は全体として軽い感じで、いかにも流行・時節一発勝負狙いが透けて見え、賞味期間が短く、滅多に買わない。


次に文庫本の出版社を棚卸ししてみたい。異常に多いのが光人社文庫。ここは旧日本軍を中心に戦記物に特化した出版社だ。旧軍人(しかも下級兵士が多い)や軍事マニアの作品が多く玉石混交だが、戦場の実態をつかむにはそれなりに資料的価値がある。経営に行き詰まりある時期から産経の系列となっている。一般の文庫本で多いのは新潮文庫、山口瞳、池波正太郎、司馬遼太郎の随筆、塩野七生を始め西欧史を題材としたものや翻訳物がほとんどだ。翻訳物では軍事サスペンスやスパイ物は何と言っても早川文庫だが、冷戦崩壊後面白い作品が少なくなり、このところ購入は急速に減じている。伝統のある岩波文庫は古典文学作品が多いこともあり、これは読書対象外。手元にあるのは「戦争論」と「論語」のみ。講談社文庫は週刊現代に長期連載したものの文庫化に面白いものがあり、児島譲の「ヒトラーの戦い」(全10巻)は永久保存である。朝日文庫は主として旅行記や紀行文、旅行作家下川裕治の作品や司馬遼太郎の「街道をゆく」(週刊朝日連載)は愛読書と言っていいだろう。角川文庫は宮脇俊三の鉄道物を全部そろえた。文春文庫は“遅れてきた文庫本”の感で翻訳物、ノンフィクション少々と言ったところだ。


さて新書や文庫に比べ冊数では14程度だが容量では書架の大半を占める単行本はどうか?先述のように戦史・昭和史・国際関係史・技術開発史・乗り物(特に航空機)それにIT・数理、それらに関わる伝記がそれらだ。全体としては新潮社や文藝春秋社のものが多いが、軍事関連(技術史を含む)では原書房、光人社、中央公論新社、学研のウェートが高い。原書房や光人社はそれに特化しているので当然だが、中央公論新社は旧中央公論社が経営破綻し読売の傘下に入った後、中小出版社から版権を購入、それを復刻したことでこの分野に進出している。また学研は歴史シリーズの一環として欧州大戦史を取り扱った時期があったので、それを揃えた結果である。戦史系ではこのほかに翻訳物は早川書房、草思社も結構ある。また第二次世界大戦のリーダー達の伝記物に産経新聞社が目立つ。

乗り物では全体として講談社が多く、航空関係では戦前の“航空朝日”からの伝統であろうか、一時期朝日新聞社も存在感があった。

IT・数理関連は現役時代と現在で量質とも大きく変わった分野だ。現役時代は企業や技術開発の成功物語あるいは最新技術情報に関する著書を手当たり次第読んでいたが、現在は社会との関わりを、抽象的中長期的に解説するものに関心を移している。現役時代多かったのは、日経新聞系(日経出版、日経BP)やダイヤモンド社、東洋経済新報社、NTT出版などだったが、現在はビジネス系出版社より一般的な出版社のものを選ぶ傾向が高い。


長いこといろんな本を読んでくると出版社に対する好みも出てくる。経営や編集、出版理念、登用する作者から翻訳の質や書籍の体裁・字体、さらには価格まで、これに自身の考え方の変化が加わって、「これはチョッと」と感じ、それが数冊重なるとそこの出版物に対する採否は厳しくなる。代表的なのは岩波と朝日の社会科学系だ。若い頃は左翼リベラルを正義と信じていたから、好みの出版社だったが、現在は正反対、旅行記や自然科学(これも問題含みだが)を除けば厳選している(それでも時に間違うが)。左を警戒するならば右も同様、光人社を除く産経系の出版社はそれほど多くないが、読む際に適度にバイアスをかけている。IT・数理分野は技術変化が早い。流行便乗で「今出して儲けなきゃ」見え見えの軽薄な本が多いので要注意だ。この代表は日経新聞系(特に日経BP)だろう。「日本は遅れている」を煽るばかり、IT関係マッチポンプだ。翻訳物については先に“欠陥翻訳”でジョン・ル・カレ作品(早川書房)や原書房を俎上にあげたが、全体として質的に高い評価をしていた早川に最近不満を感じている。ピューリッツア賞受賞作品「地下鉄道」を読んでいて編集者の力量低下を痛切に感じた。普段使わない漢字(間違いではない)があまりに多いのだ。蹲(うずくま)った、咥(くわ)えた、躓(つまづ)いた、眩(くら)ます、俯(うつむ)いて、凭(もた)れて、取り縋(すが)って。英単語そのものが稀な言葉ならばある程度許せるが、翻訳者が難しい漢字を使いたいらしい。読者を想定したらこれはひらがなに正すべきだろう。「早川も優秀な編集者が採用できぬくらい経営が苦しいのかな?」と勘繰りたくなる。経営が変わると取扱い分野も変わる例は中央公論社(現在は新社)。読売の資本参加でスパンが拡大、幸い中公新書の出版理念は変わっていないようだが、過ぎた大衆化に向かわぬことを念じたい。こうして出版社を評価していくと、全体として新潮社、文藝春秋社、講談社など、バランスが取れているように思えるが、この3社は週刊誌を発行しており、“文春砲”に代表される話題性を追求する姿勢に似たところがあるので、特にそれに近い新書は内容・著者の立ち位置を注意するようにしている。数は限られているが、総じて重厚な内容の著作(特に翻訳)を出版する、みすず書房、白水社、白揚社などは好みだが、単価が高いのが玉に瑕だ。

出版理念の好ましい出版社のものばかり読むのは、SNSで同調できる情報ばかり収集するのと同じこと。考え方が偏ることに注意しつつも、なかなか嫌いな出版社に投資する気が起きないのが現実だ。

 

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