2021年5月31日月曜日

今月の本棚-154(2021年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)特務(リチャード・J・サミュエルズ);日本経済新聞出版社

2)戦地の図書館(モーリー・グプティル・マニング);東京創元社(文庫)

3)検閲官(山本武利);新潮社(新書)

4)映画のメリーゴーラウンド(川本三郎);文藝春秋社

5)文豪の凄い語彙力(山口謡司);新潮社(文庫)

6)ヒューマン・ファクター(グレアム・グリーン);早川書房(文庫)

7)あのプロ野球選手の少年時代(花田雪(きよむ)); 宝島社

 

<愚評昧説>

1)特務

-いまだ強力なインテリジェンス機関が存在しない我が国、それは明治期からの宿痾だ!米人研究者が解明するその病根-

 


“特務機関”なる組織名を知ったのは194811月(小学校4年)の極東国際軍事法廷判決報道の死刑囚肩書・経歴の中にそれがあったからである(土肥原、板垣両大将は奉天特務機関長、ハルビン特務機関長などを歴任)。首相、大臣、司令官とは異なる妙な肩書、特務機関長が脳裏に刻まれた。しかし、その後この組織名を目にすることはなかったから、これが諜報・謀略(以下インテリジェンスとする)機関であることを知るのは、昭和史(特に満洲国史)に関心を持つようになる20歳代半ばである。同時にこの時期から軍事技術史やスパイ小説に興味を持ち始めたので、それが何であるか、具体的な姿が少しずつ分かってきた。さらに、東南アジア植民地解放やインド独立工作を進めた南機関・藤原機関(統合され岩畔機関)などを知ると、戦域拡大に伴い進出先も役割も多様化し、単なる軍事インテリジェンス活動に留まらず、占領地の政治工作、行政指導、経済謀略まで担う、独特の組織像が浮かんできた。現存する組織としては米国のCIAがその代表と言えようか。本書は、明治維新以降、戦後を経て、現代に至る我が国インテリジェンス活動の歴史的変遷を米人研究者が追ったもので、諸外国のそれと比較し、そこに一貫する国家的・民族的特質を見出そうとする野心的な研究結果の報告である。

本書に興味を持ったのは「何故外国人が我が国のインテリジェンス史をまとめたのか?何故日本人に出来なかったのか?」にあった。読んでみて分かったことは、いわゆる“戦後レジューム”によりいまだに学界ではこの種の研究は戦争と結びつけられ、真っ当な学問とは考えられていないからである。著者は国家安全保障に不可欠なインテリジェンス活動を進める統一的な組織を確立できない背景として、この左翼リベラルの影響を随所で触れる。しかし、一本化への最大の障害は戦前にも存在し、これこそが現在に続く我が国インテリジェンス活動の問題点と指摘する。それは信じられないくらいのセクショナリズム(縄張り争い)とそれを統御出来ない国家指導者像である。戦前の天皇に帰属する統帥権下の軍部独走のみならず、現在の内閣も激しい主導権争いの中で、効果的なインテリジェンス活動が行えず、安全保障政策、経済戦略、外交、国内治安に、あれこれ齟齬をきたしており、これが外国人研究者にもはっきり分析できるほどなのだ。

戦前は、陸軍対海軍、作戦部対情報部、軍部対外務省あるいは内務省(警察)、当初から役割・分担域が不明確で、いずれもが国家主導部と直結せんと主導権争いが生じ、国益を失っていく。戦後は先ず占領政策の影響を受ける。反共を旨とするGHQ参謀第二部と民主化(左翼リベラル支援を含む)洗脳策を推進する民生部。前者は旧軍関係者がその活動を支援(やがて切り捨てられ、警察官僚がそれに置き換わる)、後者は反戦外務官僚(吉田茂を含む)が中心となる。朝鮮戦争勃発で警察予備隊(現自衛隊)が発足するとここの政策トップは警察官僚の占めるところとなり、現在でも内閣調査室、内閣情報会議など重要ポストは警察の手の内にある。しかし、警察は外国に関するインテリジェンス活動は出来ない。それを担うのは外務省。さらに、軍事情報収集・分析は駐在防衛官の仕事だが、防衛省の情報部門(内局)は警察庁のポスト、一方で大使館勤務の自衛官は海外に居る間は大使・公使の管轄下にあり(外務省に出向)、外務省ルートをバイパスする報告は許されない。さらに国内治安維持には法務省公安調査庁もからむ。この状態を質そうとしたのが中曽根内閣官房長官後藤田正晴、警察官僚出身だが国家的見地から内閣官房の強化策の一つとして、この分野の統一化を目論むがうまくいかない。第二次安倍内閣以降国家安全保障会議を設けても、情報の流れは一本化出来ていなのだ!

このような状況下では、自衛隊-米軍間で情報共有化を行うにも種々問題を生じ、米軍は日本の機密保持体制に疑念を拭いきれず、ややもすると一方通行(日本はセンサーの役割

、米側は必要最小限の情報を提供(時にはタイミングを遅らせて))になり、自衛隊にも不満が募る。

著者は最近の国家安全保障会議の設立、機密保護法の制定を評価しつつも、上記のような我が国インテリジェンス活動の現状を踏まえ、話題になっている“ファイブ・アイズ(英米2国基幹、これに加・豪・ニュージーランドを加えた5カ国の情報共有グループ)”への我が国参加に、課題の多いことを指摘する。

西南戦争における官軍の気球に依る偵察、日露戦争における福島安正(シベリア単騎横断)・明石元二郎(革命支援)の活躍、ノモンハン事件におけるソ連情報の著しい欠如、重要国策(南進論)を正確に読み取ったゾルゲ事件から、戦後のソ連スパイの暗躍(ラストボロフ事件など)、金大中拉致事件(KCIAへの情報漏えい)、MIG-25 亡命(早期警戒システムの杜撰さ)、サハリン沖大韓航空機迎撃・撃墜会話における高い通信傍受・分析(シギント)能力、湾岸戦争時の海部内閣による国際情勢の読み違い(低質な人的情報収集・分析(ヒューミント)能力)、阪神大震災における危機情報伝達の遅れ、偵察衛星運用の複雑さまで、具体例をふんだんに援用しながらインテリジェンス活動の実態を明らかにし、読者に“今そこに在る危機”に関心を惹きつけ説得力をもって伝える。本書自体が外国人による立派なインテリジェンス活動の成果ともとれ、日本人が書かなかった(書けなかった)我が国インテリジェンス史、これからの我が国国家安全保障を考える上で、価値ある一冊になっている。

著者は1951年生れ、MIT政治学部教授。フルブライト留学生として東大で学び、都合6年滞日、日本研究者として日米で高い評価を得ており、旭日重光章を受章している。

 

2)戦地の図書館

-戦力は兵器ばかりではなかった。米国が前線に送った14千万冊の兵隊文庫が兵士に与えた力-

 


私の通っていた中学では年に23回視聴覚教室と称して全校参加の映画鑑賞の授業があった。無論封切などではなく、2番館3番館である。その時観た映画で記憶に残るのが「きけ、わだつみの声」、南方の戦線で倒れ果てていく学徒兵を扱ったものである。後年知ったのだがこの舞台は無能な上層部が企図したインパール作戦(ビルマからインドへの侵攻)。反戦映画の嚆矢、原作は「日本戦没学生の手記」、従って兵士の大部分は当時の知的エリートたちである。中学生にそれが理解できたシーンに兵士が文庫本を取り出し戦友に手渡す場面があった。戦地に本を持参したことでそれを象徴させたわけである。数多く戦争映画を観てきたが、諜報戦を除けば、本が小道具に使われる場面など全く記憶にない。本書は、米軍の戦場における書籍を巡るノンフィクションである。ナチスドイツは1億数千冊を焚書にした。対するアメリカは同数の書籍を戦地に送り戦意を高めた。一体どんな本?をどのように?

本書を読んでいて意外な発見があった。兵士は戦闘中を除けば戦地に在っても時間を持て余しているのだ。兵営や病院(野戦病院を含む)あるいは船舶や鉄道・車両で移動中は無論、戦場のタコツボの中でさえそんな時間が生ずるらしい。これが士気・戦意を弛緩・低下させるのだ。だからと言って訓練でもしようものなら、反ってイザと言う時の戦闘力を低下させる。妙な例えだが、ある時江夏が伝説的野球指導者飛田穂洲の“一球入魂”について問われ「そんなことしとったら、持たへん」と答えたことに通じる。このような戦意低下解消のために映画・演劇・スポーツ・ゲームなどが用意されるのだが、読書が誰にも愉しめる最も手軽な手段なのだ。毎日読書三昧の私もこれに全く同感だ。

1940年徴兵制が敷かれ、1941年から前線の兵士に図書を送る運動が始まるのだが、これは大きく二段階に分かれる。最初は全米図書館協会(ALA)のボランティア活動として始まった“戦勝図書運動(VBC)”、1942年末までに1千万冊を目標として各地の図書館や博物館などに個人が寄贈する形で書籍が集められ、これを陸海軍に渡し、それぞれの図書館局が各所に配分する方式である。しかし、兵士には歓迎されたものの、種々問題もあった。大きさはまちまち、古紙回収に近い状態のもの、そして検閲が行えなかったため、内容が戦地・兵士に相応しくないものが混在していたのだ。一応目標の冊数は集められたものの、この方法は194310月に終了する。

代わって登場するのが“兵隊文庫(Armed Services EditionASD)”である。実は“兵隊文庫”なる言葉を知ったのは本欄-150(本年1月)で紹介した「戦場のコックたち」によるが、文庫本のようなイメージしかわかず、それ以上のことは分からなかった。しかし、本書は当にASDの解説書と言っていいくらい、この出版物を詳述する。

推進母体は1943年に発足する、大手出版社の経営者や編集者が中心に構成された戦時図書審議会、ここが作品を選び出版まで受け持つ。出版物はすべて陸海軍が買い取り(陸80%、海20%)、以降兵士配布まで行う(非売品)。作品ジャンルは小説(大衆向けから古典まで)・ノンフィクション・娯楽・スポーツ・教養・科学・宗教など極めて広範だ。最終的に1200作品が取り上げられている。製本はペーパーバック。サイズは大・小2種、大は戦闘服の尻ポケット、小は胸ポケットに収まる大きさ。表紙は防水加工され、横長で綴じはホチキスと言うのもユニークだ。懐中電灯の明かりでも読めるよう書体や文字の大きさにも意を用いている。戦時の各種資源不足(特に紙)、出版社・印刷所の動員、平時の出版業界の常識を大変革したやり方は、戦後の出版業の形態を大きく変えることになる。特に大きいのは、それまで一流出版社はペーパーバックを扱わなかったのが、その分野に進出、戦後のペーパーバック普及拡大がここから始まる。

当初の出版予定部数は年1500万冊であったが最盛期には5千万冊。前線への配布は19439月に始まり朝鮮戦争時(1950年)まで出版が継続され、最終的な総発行数は約12千万冊に達した(それ以前を含めて14千万冊)。審議会は継続的に前線からのフィードバック情報を集め、人気のある作品は何回も版を重ねてこの数字になっている。最も好まれたのはやはり小説、それも恋愛小説、官能的な場面に検閲が入る。現在から見れば他愛ないものだが、不倫や異人種間結婚などはこれに引っかかって弾かれる。また、政治的な内容も厳しいチェックが入り、ルーズヴェルト4期目がかかる選挙に際し、ASEの高い人気が彼に利すると共和党が出版停止活動を行うことまで生じている。

兵隊文庫の背景にある、当時の米国における必需品需給、教育、出版、図書館管理事情などが確り調べられており、米国史の一端を知る点でも大いに収穫があった。兵士の多くは高校までの教育しか受けておらず、読書習慣も身に付いていない。しかし、この文庫(教科書的な教養書も多い)を通じて戦場で学び、戦後の復員兵援護法(GI法)で大学に進んだ者が、1950年代中産階級を構成し、米国繁栄の礎となっていく。読書大衆化の意義は表面に見えるもの以上に深いのである。

著者は米国史を学んだ後ロースクールに進み弁護士・判事を経験した女性。他にも著作があるようだが訳本は出ていない。

 

蛇足;最も人気があり版を重ねたベティ・スミス作「ブルックリン横丁」(A Tree Grows in Brooklyn)を英国(作者は米人だが米国版は現在出版されっていないため)に発注した(邦訳は1954年に一度だけ出ているが絶版)。

 

3)検閲官

-憲法に定められた「信書検閲禁止」を無視した占領軍、その下に2万人の日本人検閲官が居た。明らかになったGHQ秘蔵名簿から当時を探る-

 


1970年代から80年代にかけて海外出張すると、書類や書籍が増えて現地の関係会社や郵便局から別送することがあった。ときには国内で開けられ、中身のチェックが行われた痕跡がはっきり残っていた。この時代ポルノ雑誌などを別送していた人も居たから、こんな抜き取り検査が必要だったのだろう。21世紀に入ってからはインターネット経由で海外の古本をかなり購入しているが、一度も開封検査を受けた形跡はない。電子情報が自由に国境を越えられる昨今、独裁国でもない限り書類・書籍場合によって映像を検閲する意義など無くなってきている。しかし、中国などは膨大なネット情報やリアルタイム映像を監視し、統治に好ましくないものは即遮断されたり、関係者が拘束されたりしている。かなりの自動化が行われていると推察するが、要する人員、機材、経費は相当なものだろう。こんな他国の現状とは異なるものの、終戦直後から独立回復までの間、戦前以上に厳しい報道(新聞・放送)管制、出版物・映像事前審査そして信書の検閲が行われていたのだ。憲法第21条第2項には「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定められている。この憲法の下に信書便法があり、そこに“信書”として、「封書のほか、開封の書状、はがきを含む」となっている。しかし、占領軍はこれを無視、大量の日本人を雇って膨大な量の郵便物を検閲していたのである。本書は、報道や映像に比べ一般に知られる機会の少なかった信書検閲に焦点を当て、昭和史の暗部を明らかにする調査研究報告(科研費対象研究)である。

最近この種の研究(戦後昭和史)は米国で公開された公文書が基になるものが多い。今回の新資料もGHQが残し、米国立国会図書館で発見された日本人検閲官名簿である。無論著者はそれ以前からこの問題を調査しており、それらを踏まえての新資料による考察である。

GHQの検閲主管部門は1)で紹介した“特務”にも現れる参謀本部第2部(G-2)。ここは占領軍の統治を支障なく進めることが主務である。共産主義者のみならず国家主義者、旧軍の動向も監視の対象だ。このG-2の下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事・刑事を扱うCIC(対敵対諜報部)が置かれる。そしてCISの下にCCDCivil Censorship Detachment;民間検閲局)があり、郵便・電信・電話の検閲を行う通信部門と、新聞・出版・映画・演劇・放送等を担当するPPB部門があった。この通信部門が本書の主役である。発見された資料は1948年、49年のⅠ区(東京・東北・北海道)分のみ、それだけで約14千名、Ⅱ区(中部・関西・四国)、Ⅲ区(中国・九州)を含めれば2万人以上の検閲官が存在していたと推定される。しかしながら、占領軍による検閲制度の先駆的な研究者であった江藤淳が「多数の関係者が居たにもかかわらず、誰一人経歴にCCD勤務を残していない」と嘆いたように、長く謎に包まれていた世界なのである。

検閲された郵便物は2億通(全体の数%)、抜き取られた信書(はがきを含む)は地区の検閲場(東京地区は東京駅丸の内側南口前の中央郵便局)に運ばれ、検閲官によって開封され内容の査読が行われ基準書に抵触するものは要点を英訳してコメント・シートに書き込み、上位の検閲者・監督者に上げられていく。コメント・ノルマとして査読の6%程度が求められた。日本人は初級検閲官(Junior Examiner)、検査翻訳官(Examiner Translator)とその監督者までで、その上に日系2世や日本語と英語を解する外国人(朝鮮人、中国人など)、さらにその上のACAssistant Censor)は白人や2世の下士官・軍属、現場のトップ(Censor)は白人士官となっている。日本人検閲者の採用は、口コミ、新聞広告、学校経由など様々、英語力がカギでかつ男女格差が無いので津田塾大・東京女子大英文科卒の人が多く学校経由で携わっている。頻繁に英語の試験が行われ点数が良いと格が上がり(初級検閲者→検査翻訳官→監督官)、当然報酬も上がっていく。終戦の翌年(1946年)、国家公務員の初任給が540円/月の時、1500円を貰えたので優秀な人材が多数応募している。ただ“米軍の手先”と見られる面もあり、多くの人がこの仕事に従事していたことを退職後も隠す傾向が強く、先の江藤淳のような発言につながっていく。

著者は名簿発見前後の調査も含め関係者の証言(出版物や聞き取り調査)との照合を図り、それを責めるわけではなく、著名人が種々の事情でこれに関わっていた背景を明らかにしていく。その一例は、「夕鶴」などの作品で有名な木下順二。名簿はすべてアルファベット表記、“ジュンジ・キノシタ”から彼の略歴あるいは同期メンバーに当たり、これが木下順二であることをつきとめる。劇作家としての木下はいわゆる“左翼文化人”、それもあってCCD勤務をどこにも残していない。実際は劇団維持に彼の報酬(英語力が極めて高かったため高額所得者;名簿に試験の点数が記されている)がつぎ込まれていたのだ。“左翼=米軍の手先”では自己撞着、いかにもマズい。

この一般信書検閲は決してスパイ行為のようなものではなかった。検閲済みの印が押され、開封個所は今のセロテープのようなもので閉じられ、調べられた形跡をはっきり残している。G-2の表向き目的は、占領軍の統治に対する世論調査の一環。これはそれなりに機能を果たしていた。しかし、その裏に真の秘密調査が隠される仕組みになっていたのだ。マークされていた団体や人物の信書は、別途同じCCD内の秘密工作部(米人中心)によって巧妙に痕跡を残さず開封検閲されていた(ここでの仕事のやり方にも触れる)。つまり、著者によれば、一般信書の検閲は一種の陽動作戦なのである。また憲法無視も米軍には違法と取られていなかった感もある。何故ならば、米国内でも戦時には、通信傍受・信書検閲が行われていたからだ。当に“事実は小説より奇なり”、安っぽいスパイ小説よりはるかに面白い、が読後感である。

著者は1940年生れ、社会学博士、一橋大学名誉教授、早大名誉教授。インテリジェンス関連の著書多数。

 

4)映画のメリーゴーラウンド

-入浴シーンからラフマニノフ・ピアノ協奏曲まで様々なバトンでつなぐ映画雑談リレーエッセイ66話、最後は振り出しに戻る-

 


私の読書傾向は圧倒的にノンフィクションに偏っており、小説は軍事・スパイ小説中心にせいぜい5%以内である。ノンフィクションを好むのは読書の最大の動機が好奇心(知らないことを学ぶ)を満たすことにあるからだ。従って、読書中は赤線を引き、余白にコメントを書き、付箋を付け、時には中断してWikipediaを参照したりするから、かなり力が入る。逆の表現をすればリラックスできない。そんな中で、気楽に読めるのが好きな作家の随筆、旅や乗り物の本、それに映画を材料にした話である。先々月は「淀川長治映画ベスト10+α」、先月は蓮見重彦の「見るレッスン」を紹介した。しかし、前者は50年にわたる著者が選んだベスト10の寸評、ほとんど一覧リストに近い構成、後者は真っ当な映画論であり、それなりに興味深い内容ながら、小林信彦や池波正太郎の映画エッセイのように「愉しく読んだ」と言う読後感ではなかった。この手の映画本の愉しみの根源は、観たことのある映画(あるいは話題性があり、その映画について何か予備知識がある)、よく知る監督や俳優が登場することにある。今回は本書を購入に際しては書店に出かけ、内容をチェックした上で求めた。

著者は1940年生れ、私の1年後。世代が重なることはこの種の書き物では重要だ。愉しさの根源は、書き手が昔を思い出してあれこれ蘊蓄を傾け、読み手はその中に共通性を見つけ、そこから自身の別の想い出につなげていくところにある。年寄りの「昔は良かった」の典型である。

基本的には66話から成る映画雑談エッセイである。ただ面白い仕掛で一つの話を次にリレーしていく。バトンは監督・作品・俳優・原作者と従来の映画エッセイや評論に共通するものもあるが、音楽、場所、あるいは小道具だったりする。洋画と邦画を女優の入浴場面でつないだり(フランス女優マルチーヌ・キャロルの話が京マチ子、岡田茉莉子、高峰秀子へ移っていく)、映画「Merry Christmas~ロンドンに奇跡を起こした男~」(チャールズ・ディッケンスの小説「クリスマス・キャロル」誕生秘話)と「風と共に去りぬ」でメラニー(オリバー・デ・ハビランド)がディッケンス作「デイヴィッド・コッパ―フィールド」を読んでいることで二つの映画を結んだり、音楽ではたまたまラジオから流れていたラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」がディヴィッド・リーン監督「逢いびき」とビリー・ワイルダー監督「アパートの鍵貸します」を取り持ったりする。なかなか洒落た趣向だ。そして第66話の話題は第1話に戻って行く。つまり、映画の尻取り遊び、これが題名の“メリーゴーラウンド”なのである。マリリン・モンローの「七年目の浮気」から一時その夫であったジョー・デマジオ(ヤンキースの強打者)が登場、ライバルのブルックリン・ドジャースを経てマンハッタンのビル内から高架鉄道(今は地下鉄に変わっているが当時走っていた)が写る「十二人の怒れる男」(ヘンリー・フォンダ主演)へ、さらに高架鉄道の下を疾走するクルマのシーンがある「フレンチ・コネクション」を語り、共演するフランス人俳優へと展開していく。ある意味「風が吹けば桶屋が儲かる」的な意外な関連性が次々に現れるところが面白い。

一つの話に映画が一本と言うわけではない。平均すると56本あるから、全部で400本近くの作品を回想することになる。登場する人物はさらに増え、おそらく千人くらいではなかろうか。そして、嬉しいことにそのほとんどは私にとって映像を中心に既視・既知の人々。読みながらさまざまな思いが過っていく。「そういえばあの映画、誰とどこで観たんだっけ?」と本の内容とは別の場面にしばし移るのも愉しい。とにかくよく細部を観ているのに「さすが専門家!」と感心させられる。同世代の映画ファンにはお薦めの一冊である。

著者は朝日新聞勤務の後文芸・映画評論家に転じた人。学芸賞・文芸賞を多数受賞している。

 

5)文豪の凄い語彙力

-“文豪”は客寄せパンダ。“凄い”もさほどではないが、字源・語源解説は雑談ネタとして使える-

 


成人向けのしっかりした本の記憶は昭和212年(1946年~47年)頃母の実家にあった改造社「近代日本文学全集」である。この全集はやがて母がもらうことになり、小学校高学年から中学生時、活字中毒解消にしばしば本棚から取り出した。しかし、夏目漱石や志賀直哉のような小中学生にもなじみのあるものは、どうやら叔父・叔母たちが手元に置いたようで見つからず、泉鏡花、尾崎紅葉など内容も理解せず読んだ。純文学は全く興味の対象外だったから、爾来文豪と言われる人々の書いたものに触れる機会はほとんどなかった(中学・高校時代読んだ、「坊ちゃん」、「蜘蛛の糸」、「雪国」が記憶に残る程度)。それが昨年牧村健一郎「漱石と鉄道」を読み、漱石の作品に惹かれ、「草枕」「三四郎」を始め5冊を一気に読んだ。作品の内容よりも気になったのが当て字の多いこととさすがに明治の人、漢学に通じていることである。当て字は試験では×点、文豪だから許されるのだろう。漢学からくる用語は現代ではほとんど死語となっているものの、教養の深さが伝わるものであった。“文豪と語彙”に釣られ本書を紐解いた。

内容は、語彙(漢字)・作家(文豪)・出典(作品)が45行で説明され、その後に字源・語源・意味が詳しく述べられる。最後に作家の略歴やエピソードなどが紹介される形式。平均一語3ページ程度で63語(作家、作品)が取り上げられている。

著者は1963年生まれの中国文学研究者、ケンブリッジ大学やフランス国立社会科学研究院の東洋学部門でも研鑽を重ねた大学教授。従って本書の力点は語彙の字源(表意文字としての生成過程)や語源(本来の意味)に重点が置かれ“文豪”との関連は深く掘り下げられているわけではない。いわば客寄せパンダかダシに使われている。

文豪として登場するのは漱石を始め明治期の人から、司馬遼太郎や五木寛之など最近の作家まで幅広く、著者が現時点で“凄い”と感じ取った語彙が選ばれている。

この中で読んだ作者・作品は;夏目漱石「坊ちゃん」、内田百閒「大晦日」、吉川英治「三国志」、川端康成「雪国」、山崎豊子「華麗なる一族」の5点のみ。

私が今まで出会ったこともなかったり読めなかったり意味が理解できなかった(想像はつくものが多い)のは以下の12語である。的皪(てきてき)、岨(そば)、抗拒、海容、玩弄、蒼惶(そうこう)、左袒(さたん)、然(てんぜん)、瀟々(しょうしょう)、緩徐、爪牙(そうが)、寛解。逆に「何故こんな言葉が凄いのだろう?」と思ったものが多数ある。少し例を挙げれば;生中、耄碌、蒙昧、謦咳、跳梁、猥褻、拘泥、標榜、背反、酩酊、慨嘆、契機などなど。これらはよく目にするし、意味も解し、何か書き物をする際使っている語彙である。今回由来を知ったのが“青書”。白書に対して表紙の色が異なるだけと思っていたが、外交にのみ使われるのは、英国のそれがBlue Bookと称していることからきている。著者との年齢差から、本書はごく若い人向けの教養書(授業の副読本?)なのかもしれない、と思ったりする。

字源・語源の解説は専門的な深みはともかく、雑学的には面白い。その一例;「的皪(てきてき)」、この語は芥川龍之介「或日の大石内蔵之助」の中で「(寒梅が)的皪たる花をつけていたのを眺めていた」と使われている。意味は「白く鮮明なさま、光り輝くさま」。二つの文字最初の“的”の左偏に“白”があり、右の“勺”は「一部にスポットを当てる」字形・語意、“白”と組み合わせた“的”は「さらに明るく、その部分を見る」となる。次の“皪”の左偏にも“白”があり、右の旁(つくり)は樂で、“櫟(くぬぎ)”からきており、樂の間にある“白”も含めて「美しく光る木漏れ日」の意となり、左偏の“白”と組合すことでその明るさが一層強まって「くっきりと、鮮やかに白いこと」を表す。なお、漢字の“白”は絵具の白よりは本来“透明”を指す言葉だった。「白酒(ぱいちゅう」は濁り酒ではなく透明の蒸留酒である。ここまで字源・語源を知っていれば文中の寒梅の輝きが視覚的に浮かび上がってくる。確かに“凄い”表現力だ。

一つだけ「これは良い表現だな~」と思わせたのは円地文子が「妖」の中で用いた“小絶える(おだえる)”、「やがて小絶えている雨が降りはじめる」、読みもでき意味も解するが、梅雨時の表現ピッタリな語が広辞苑にも載っていないと解説にある。こんな言葉を創造できることこそ文豪の凄さではなかろうか?

文豪たちの知識力を格別追求したわけでもなく、語彙(字源、語源)の解説だけならば、白川静(立命館大教授)や藤堂明保(東大教授)の方が本格的で、中途半端な感じがするが、息抜き・気分転換に読むには手ごろである。

 

6)ヒューマン・ファクター

-古典読むべし!スパイ小説にもそれは通用する。ノーベル賞候補作家の実体験に基づく二重スパイあぶり出し作戦-

 


本欄で何度も繰り返しているが、東西冷戦崩壊後スパイ小説が全く面白くない。戦いは非対称、地域は西アジアからバルカン。埃っぽい感じだけで近代文明との距離がどうも馴染めない。異文明間の戦いを無理に盛り上げようとするとエキゾチズムや宗教臭が鼻を突く。やはり、スパイ小説は冷戦期に限らず、第一次・第二次大戦も含め、何故か米・ソ(露)・欧舞台が身近に緊迫感を持てる。最新作に面白いものがないなら古典に戻ってみよう。こんな思いで取り上げたのが本書である。きっかけは1)特務の題辞(始まりに引用される、短い警句や故事)に記されたグレアム・グリーン「静かなアメリカ人」の一節だった。「そうだ!彼のスパイ小説を読んでみよう」となったわけである。

本作品は1978年英国で出版だから、1904年生まれのグリーンは74歳、晩年の作品と言っていいだろう(1991年没)。文中にヴェトナム戦争や超音速旅客機コンコルドの話が出てくるから、時代設定は1970年代半ば、冷戦最盛期。主な舞台は英国だが諜報活動の現場はアフリカである。主人公はMI-6(英海外諜報部)のアフリカ担当責任者(若い頃南アフリカ共和国で諜報活動に従事、もう引退間近)、この地域の機密情報(アパルトヘイトを巡る東西の角逐)がソ連側に漏れている疑惑が生じ内部捜査が始まる。彼自身だけでなく現地の工作員、部下や秘書、上司の課長が内部監査担当のディントリー大佐による査問を受けるところから話は始まる。本作品は1979年映画化(巨匠オットー・プレミンジャー監督)されており、英国の名優リチャード・アッテンボローがこの大佐役を“主役として”演じているから、重要な作中人物だ。これに、主人公が管理するソ連側二重スパイ、MI-6長官、長官直属の医療専門官、それに彼の母親、アフリカ時代に知り合った妻が絡んで、内部の敵探しが展開される。これ以上の内容紹介はこの種の本では禁じ手、あとは読んでのお楽しみである。多くのスパイ小説を読んできたが、疑惑は数々生ずるものの、妙に緊迫感・恐怖感が薄い。殺しや暴力シーンが間接的(昔話や人づて)にしか語られないからだろう。疑惑が一つ一つ明らかになっていくのが読み進める力となる。本書が「スパイ小説の金字塔」と称賛されているのはこんなところにあるのかもしれない。

本書を愉しめる度合いはグリーンの経歴やMI-6をどの程度知っているかにある。幸いこの点では予備知識があったから、きわめて満足すべき読後感が得られた。

グリーンはオックスフォード大学で歴史学を学び(1925年卒)その後ザ・タイムズに入社、記者を経て1929年に作家活動に専念するようになる。この間大学時代一時期共産党にも入党している。1941MI-6の部員となりアフリカのシオラレオネ駐在、この時のアフリカ統括はキム・フィルビーである。キム・フィルビーを始めとするケンブリッジ大学卒業生は学生時代からソ連と深いかかわりを持ち、卒業後外務省やMI-6に就職、戦中から二重スパイを働き、のちに“ケンブリッジ・ファイブ(5人の意)”として悪名を残すことになる。フィルビーは戦後レバノン駐在時にモスクワに亡命、そこで一生を終えている。グリーンは1944MI-6を離れたものの、フィルビーとの交友は続き、亡命後フィルビーが回顧録を出版する際推薦文を贈っている。また、キューバ革命時カストロとも親交を結んでいる。ただの作家でなかったこの経歴が本作品に反映されていることは間違いない。後年分かったことだが1950年にはノーベル文学賞候補としてノミネートされていた。

「スタンブール特急」(1932年)、「第三の男」(1950年;映画で有名だが原作と映画はラストが違うらしい)、「静かなアメリカ人」(1955年)、「ハバナの男」(1958年)、映画にもなった数々の話題作、読んでみようか、と言う気になっている。

 

7)あのプロ野球選手の少年時代

-超一流プロ野球選手6人の少年時代を指導者と記録で振り返る。大成した資質・過程は如何様であったか-

 


我々の小学校低学年時代(1940年代後半)日本全体が貧しく、今のように多彩な余暇を楽しむ余裕はなかった。唯一大人から子供まで熱中していたのは野球だった。あの当時子供が知っていた有名人はマッカーサー元帥と吉田総理大臣以外、川上・別所・大下・別当・藤村・スタルヒンなどプロ野球のスタープレーヤーばかり。近所の仲間が集まって、他の町内の子供たちと、そこここに在った空き地や原っぱで草野球を戦ったものである。両チーム合わせてもグラブ、ミットが9個揃わず、バットは共通で1本ということもあった。

翻って最近の小学生を見ているとそれほど野球に入れ込んでいるようではないし、キャッチボールすら見かけない。ゲームソフトや他のスポーツ、特にサッカーにシフトしているようだ。こんな中で現在中学2年生の孫は小学校3年生くらいからクラブチームに入り、現在部活は野球部に所属、放課後と休日を練習と試合で過ごしている。本書はその孫のために購入したものだが、コロナ禍でなかなか渡す機会が無く、その間読んだ次第である。従って、本書紹介は言わば“番外編”、既に手元には無い。

著者の取材・執筆意図を読んで「なるほど」と思った。プロ野球のスター選手について書かれたものは、ほとんど高校時代以降で、それ以前の小学校・中学校時代に触れたものは無く、この時代と現在を対比することで野球人としての成長因子が見えてくるのではないか、と言う着眼点である。

ここに取り上げられる選手は;秋山翔吾(西武→レッズ)、前田健太(広島→ドジャース→ツインズ)、柳田悠岐(ソフトバンク)、菅野智之(巨人)、山崎康晃(ベイスターズ)、鈴木誠也(広島)の6選手。皆現役一流プレーヤーである。個人的資質は一先ず置いて、共通しているのは小学生の時から学校かクラブチームに所属していたことである。チームの強さは様々、前田(忠岡ボーイズ;大阪)と秋山(金沢リトルシニア;横浜)は地区の強豪だが、他は仲良しクラブ的でそれほどスパルタンな雰囲気を感じさせない。

個々の選手に関する情報は、これらクラブや学校の当時の指導者に聞き取り調査を行い、記録が残っていれはそれを参照している(例えば、柳田は三振が極めて少ない)。また、秋山、柳田、山崎に関しては本人とも対談して、取材結果を補っている。

指導者の話から共通項として浮かび上がってくるのは、何と言いっても皆「野球が好き」なことである。レギュラーになれなくても、希望するポジションでなくても、とにかく野球がしたくてたまらない子供たちなのだ。一方で前田と菅野を除くと後にプロ野球で活躍するほど突出した存在ではなかったことだ。前田は多くの高校が注目するほど力があり、PL学園に進んでいるが、菅野の場合は祖父(原貢;東海大相模、東海大監督)・叔父(原辰徳)を指導者たちが意識していた結果である。

面白いのは身体の変化。柳田は当時の同級生の中で頭一つ背が低く、とても今のスラッガー(188cm96kg)を想像できない。秋山も同様華奢な感じだ。比較的変わらないのは菅野、既に今の体形を予測させる。身体の大きさ以外の身体能力では、柔らかさ(バネ)、走力がこの時代から優れていたことが共通因子。

チョッと正確に理解できないが何となく分かるのが「良い野球センスを持っていた」と言う証言である。これを自分の世界に投射して見れば“技術者センス”、「専門職として一流、他社でも他業種でも場合によって他国でも通用する技術者」となって腑に落ちる。学校教育や努力だけでは体得できない“何か”があるのだ。しかし、これだと「やっぱり一流選手は生まれつき違うのだ」となる恐れもあり、孫と読後感をどう話し合うか悩ましいところでもある。

気になったのは、彼等を生み出した少年野球クラブの減少である。第一は少子化にあるが、指導者の高齢化、クラブ運営を裏で支えていた保護者(特に母親)の過重な負荷が忌避されることも大きいようだ(いずれもボランティア)。意外と根は深いのではないか?

基本的に小中学生向きと思われ、深みはないが「(身近なスポーツにも拘らず)知らない世界を知る」点でそれなりに面白かった。

著者は1983年生れの編集者・ノンフィクションライター。少年時代「桜が丘スラッガーズ(東大和)」でプレーしていた経験を持つ。

 

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