2013年6月20日木曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-10


8.美濃街道を行く
515日(水)、この日は見所が多く、しかも今回のツーリングで唯一の山岳道路を走る。楽しみも沢山だが、諸事気遣いも多くなりそうだ。8時半にホテルを出発、ゴールの三方五湖畔の宿に5時半着の予定。天気は予報通り薄曇だが午後には晴れてくるはずだ。
今日のルートは郡上八幡で高速に入らず、しばらく越前街道(156号線)を北上する。この理由は10km足らずのところにゼネラルのSSが在るからである。昨日420km走っているので燃料計の目盛りは14より少し上(20l弱)、まだ150km位は充分走れるが、山道もあるので白鳥(しろとり)で美濃街道(旧道;158号線)に分け入る前に給油しておいた方が安心だ。宿を出るときナビでSSの電話番号を入れると「ピンポイントで位置を特定できないので付近に案内します」と出てきたが、ルート・プロファイルは予想通りなので以後の道案内を委ねた。
越前街道は長良川に沿って南北に走る。白鳥で富山(越中)方面に向かう白川街道(白川郷を通る)と福井(越前)方面に通ずる美濃街道に分れる。この街道名のつけ方は、ヨーロッパ大都市の鉄道駅名の命名法と似てちょっと面白い。これから向かう地方(都市)の名前を出発地方で使っているのだ(パリのリヨン駅、モスクワのレニングラード駅)。しかし、白川街道はそこを通るからそのように名付けられているわけで、上の例とは異なる。そう言えば日光街道、水戸街道は前者だし(江戸から見て)、熊野街道は後者の例と言える。
沿道は時々河原が広がって作り上げた平地の小さな町を通過していく。SSはこの街道沿いに在るはずだ。ピンポイントで辿りつけないことは分っているので道路の両側を注意していると「次の交差点を左です」と言ってくる。見ると郡上大和駅への入口である。左折すると先の方に駅舎のようなものが見えてきた。「駅前にでも在るのか?」と思っていると、再び「左です」と指示する。「何か変だな」とポツポツと民家の続く狭い道を行くと「この辺です。案内を終わります」SSどころか商店も無い。左折を2回して八幡の方に戻っているので、さらに左折路を探して街道に出る。再び北に向かい先ほど左折した駅への交差点をそのまま直進すると、ゼネラルのカラーリングをしたSSが左側に見えてきた。クルマを入れるとセルフのスタンドだ。E/M/Gのセルフなら“Esso Express”でなければならない。周りを見ると“ゼネラル”がどこにも無い。修理点検場所に人がいたので「ここはゼネラルのスタンドではないのですか?」と問うてみた。返ってきた答えは「以前はそうでしたが、いまは無印です」とのこと。WebHPには依然記載されているものの、かなり前にグループを離脱していたのだ。ナビがピンポイントでここを見つけられなかったのは、このような事情があったからなのである。
この近くにE/M/Gが無いことは分かっていたから、次の給油地は越前大野になる。幸い充分走れる距離だから、取り敢えず道の駅“九頭竜湖”をセットして走り出した。
美濃白鳥は八幡町同様いくつかの川が長良川に合流してくるので、かなり見通しのきく平地である。いよいよここから美濃街道が始まるのだ。この道は概ね東から西へ、白山山系を横切るのだが、岐阜県側が急傾斜で立ち上がり、なだらかに福井平野に下っていく。最高地点は白鳥から4km程度の所にある油坂峠(岐阜と福井の県境;750m)なので、取り付きは、高速からつながる新道はループで高みに上るとあとはトンネルで抜けるのでこの高さに達することは無い(トンネルも大きくS字を描いているが)。しかし旧道は九十九折で峠まで上るのでヘアピンの連続だ。途中に集落は全く無いから、わざわざ旧道を走るクルマは全く無く(紀伊半島などではこう言う旧道は閉鎖れていることが多かった)、唯我独走を楽しめる。気になるのはガソリンの減り具合くらいで、トンネルを抜けてきた新道と合流するまでハンドルさばきと加速・減速を堪能した。
合流してしばらく進むと、左側に九頭竜川を堰き止めて出来た九頭竜湖が現れる。天気も晴れに変わり、暑ささえ感じる。
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(次回:美濃街道を行く;つづく)

2013年6月18日火曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-9


7.シティホテル吉田屋
ホテルへのチェックインは4時過ぎだった。玄関前のBrabus Benzはどこかへ片付き、川崎ナンバーのクルマが隣に止められていた。フロント・ロビーに入ると誰もいなかったが、直ぐ奥から和服の中年女性(おかみさん)が現れ、チェックイン手続きを済ますと、ロビー奥につながる風呂の説明をしてくれる。どうやら大浴場ではなく(客が多い時のみオープン)、個人用で空いているときに入る方式らしい(中から鍵をかける)。次いで建物の全体説明。ロビーの右が古くからある旅館、左側がホテル。ホテル側の一階は“美濃錦”と言う料理屋で、明日の朝食はここで摂るとのこと。
一緒にエレヴェータで3階に上がり部屋へ案内してくれる。部屋は北東の角で部屋から西日に明るい八幡城が望める。部屋の広さはビジネス・ホテルのツインに比べてかなり広く、ベッドもセミ・ダブル、圧迫感が無いのが良い(後で非常口案内図を見るとホテルは9室で、この部屋が一番大きかった。なお旅館の方は6室である)。
この部屋にもユニット・バスがあるのだが、やはり広い風呂に入りたい。早速下の風呂へ出かけてみると残念ながら先客がいる。おかみさんに連絡を頼み一旦部屋に戻る。20分くらい経って連絡が入る。出かけてみると、数人は入れる広さがあり、ゆったり出来るのだが、6時からの夕食なのであまり余裕が無い。ここがこの宿の唯一不満が残ったところである。
ホテルを予約する時、始めは宿・食分離を考えたが、町の食事処案内を調べると、結局料理もここが一番評価が高かったので、2食付のプランにした。旅館側に泊まると食事は“いろり部屋”で摂るとなっているが、ホテルの場合は2階の料亭個室になる。降りていくと仲居さんが部屋に案内してくれる。幾部屋かあるようだが、人の気配はしない。ホテルの宿泊客は遅いチェックインか食事不要なのかもしれない。
「お飲み物は?」の問いかけに、日本料理が売りの所だけに、一瞬“地酒”と思ったが、長丁場のドライブと暑い日中の街歩きで生ビールを所望したが「まだやっていません」の返事。鮮度が勝負の生は客の少ないこのシーズン、ここまで運ぶ輸送費も考えると商売にならないのだろう。止むを得ずビン・ビールで我慢する。
料理はさすがであった。先ず、一つ一つタイミングを見て運んでくる。これができない日本旅館が最近は多い。食材はシーズンであれば鮎が中心(塩焼き、味噌煮、刺身、雑炊など)となるのだが生憎解禁になっていない(6月中旬)。代わりに鯉の洗い、あまごの塩焼き、山菜のてんぷら、鯉と野菜の炊き合わせ、ゴマ豆腐、飛騨牛のミニ・ステーキ、それにここの起源ともいえるうなぎの蒲焼などほとんど地元の食材を使った料理である。蒲焼は関東風に蒸してから焼くスタイルではなく、生から確り焼き上げる方式なので、やや皮が硬く、好みとしては今ひとつだったが、これもその土地を知る上では悪くなかった。2時間かけた夕食の後は一日の疲れがどっと出て、爆睡するだけだった。
翌朝朝食を摂りに“美濃錦”に出かけると、夫婦連れが一組、ビジネスマンらしい人が二人、別々に食事を摂っていた。我々の後から若い女性の二人組みがやってきた。多分昨晩泊まった客の全てであろう。朝の給仕をしていたのは、フロントで対応してくれたおかみさん一人、旦那はどうも厨房にいるらしい。オフシーズンは、昨晩の仲居さんを除けば、ほとんど二人でこの旅館・ホテルを切り盛りしているに違いない(料亭の板前は別にいると思うが)。家族+αでさっぱりしたサービスと美味しい料理を供してくれたここを選んだことは正解だった。
チェックアウトの時、旦那に例のBrabus Benzのことを聞いてみた。「実は実家が外車ディーラーでして」が答えだった。あれこれ乗り継いでこれに至ったのだそうだ。「話の続きを聞きに今度はシーズンに出かけたい」そんな気分にさせてくれる宿だった。
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(次回:美濃街道を行く)

2013年6月16日日曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-8


6.郡上八幡(2
吉田川を学校橋で北側に渡り、今度は北町と呼ばれる地区を巡ることにする(前回の地図参照)。宿で教えてもらった名所は、安養寺と言う古寺とその周辺の古い町並み、その西に在る博覧館と名付けられた郡上踊りの演舞場と物産館が一体化した建物、さらに西に在る、職人町・鍛冶屋町などである。
古い町並みと聞けば、訪れたことのある馬篭宿・妻籠宿(長野)、角館(秋田)、高山(岐阜)などが思い浮かぶ。川に沿う道をしばらく西に歩いていくと道路際に石碑とその説明を書いた立て札がある。読んでみると歌人折口信夫(釈超空)が大正8年(1919年)8月にこの地を訪れた時に詠んだ歌とある。「焼ヶ原の、町のもなかを行く水の、せせらぎ澄みて秋近づけり」 説明文を読んでみると、この年の7月に川の北側で大火があり、一面の焼け野原になってしまっていた。前から民俗学者の柳田國男にこの地を訪問するよう勧められ、8月に来てみたら水の流れは変わらぬものの、あとは焼け野原しかなかったわけである。
と言う訳で、“古い町並み”とは言ってもそれ以降に建てられた家々である。それでも大正後期から昭和初期のものが多く、独特の景観を作り上げている。一般家屋も職人の住いも共通しているのは、長屋形式で軒が長く張り出し、それを支えるように各戸毎に壁面から斜めに壁が軒先に向けて延びていることである。これで隣の家とのプライバシーは適当に保てるが、本来の目的は何なのだろう?いまだにこの解は得ていない(いずれ登場する越前大野でも、こんな形式を見かけた)。
歩きっぱなしで小休止したいが、お休み処は現れない。自動販売機でもないかと探すが、景観を慮ってか全く見かけない。チョッと辛いが良いことである。安養寺は大きな寺だが前から眺めるだけ失礼した(最近この寺が信長の天下統一に重要な役割を果たす所であることを知った・・・蛇足参照)。博覧館は夏にしか見ることのできない郡上踊りのミニ版を観光客向けに演ずる所で、3時が最終のため入場は締め切られていた(見るつもりもなかったが)。近くには観光バスも止まれる広い駐車場(城下町プラザ)もあり、休憩・食事の店も集まっているので、その一ヶ所で一休みすることにした。中国人の団体やおばさんのグループなどが出入りして、町を歩き始めた時よりは人出も多くなっている感じだ。この後はどうやら下呂温泉に行くらしい。今のシーズン、ここへ泊まるよりはその方が良いだろう(こちらは翌日の行程を考えてここにしたが)。
休憩後職人町へ向かう途中食品サンプルの店が多いことに気がついた。サンプル工房、サンプル・ヴィレッジなどと書かれた看板が掲げられ、ショーウィンドウの中には本物と見紛う料理や食材が並んでいる(右)。食品サンプル発祥の店(岩崎という店で、滝三という人がこの世界の始祖であるとの説明書きがあった;左下)などと称しているものある。帰宅後調べてみると、なんと食品サンプルの約60%はここから出荷されていることがわかった。
残る見所は八幡城だがここへはクルマを出さなければならないし、時間も4時をまわっていたので下から眺めるだけにした。
地方の町を訪れるといつも自問するのは「ここはどのようにして生活していくのだろう?」と言うことである。八幡町の場合、この地方の中心都市なので各種行政機関が在るものの、田畑の全く無い山間の狭隘な平地に14千人(市全体では4万人強)が暮らす。名古屋からは高山本線や名鉄と長良川鉄道(越美北線、第三セクター)を乗り継いでつながるが、それも12時間に一本の不便な土地である(特急を利用しても2時間強かかる)。それでいて貧しさなど微塵も感じさせない(豊かさもほどほどだが)。観光?食品サンプル?不思議な所であった。

蛇足:数日前読み終えた「鉄炮伝来」(宇田川武久;講談社学術文庫)に、戦国時代の急速な鉄砲普及が紹介され、浅井・朝倉攻めに先立ち信長がこの地方を治めていた土豪、遠藤一族に送った朱印状(動員令)の話しが出てくる。この尚々書(なおなおがき;付帯事項)に鉄炮を持って参加するよう但し書きがある。それを受けて遠藤胤俊・慶隆が安養寺に“玉薬(火薬)”を求める書状を送っている。安養寺の広い床下では、古土法(暗所に450年寝かされた土には硝酸塩が含まれる)による硝石が生成し、これで火薬(硝石、硫黄、炭を混合して作る)を作っていたのだ。つまり安養寺は織田軍の火薬廠だった訳である。
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(次回;シティホテル吉田屋)

2013年6月12日水曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-7


6.郡上八幡(1
ホテル・旅館共通の玄関前駐車スペース置かれているクルマはダークブラウンのBrabus Benzだ。Brabusとはダイムラー・ベンツ公認チューンナップ・メーカーの一つ。有名なのはAMG(アー・マー・ゲー)であるが、これは完全な子会社で、わが国ではヤナセなどで扱われている。しかしBrabusは二人のドイツ人(BRAckmanBUSchmann)が始めた個人企業、三井物産が輸入総代理店で、独立系の外車ディーラーを通じて販売されている。都会でも先ずお目にかかれない珍しいクルマを「こんな鄙で!」と驚かされる。
チェックインが3時からであることは承知していたが、明るい内に街を見物する予定なので、着いたことの確認と観光情報を求めて早速館内に入る。誰もいないフロントに声をかけると、大きな犬が顔を出した。直ぐに奥のオフィスから40代と思しき男性が現れ、犬をオフィスに下がらせ、対応してくれる。どうやらオーナーらしい。ガイドマップにマークを入れながら観光スポットを説明してくれる。「小さな街なので、山上にある城めぐりを除けば、歩いて2時間位で充分廻れます」とのこと。早速強い日差しの中、散策に出かけた。
郡上市は平成16年に八幡町周辺の町村が合併してできた福井県境間まで及ぶ広い市だが、中心となる八幡町は、北から南へ流れる長良川沿い広がった山間の平地部で、市街地だけで田畑はほとんど無い狭い街だ。それでも16世紀には城が築かれた歴史を持つ古い城下町。春の桜、夏の郡上踊り、秋の紅葉には観光客が集まるようだが、このシーズンは特別な催しもなく季節を演出する自然もない。おまけに木曜日は定休日の店も多いようで、街は閑散としている。こんな時でも変わらないのは古くから在る用水路だ。事前に調べた情報でも“水の街”とあるし、フロントの案内でも水に関する所が多かった。
先ず訪ねたのは宿から最も近い“宗祇水(そうぎすい;環境庁選定「日本名水百選」第1号)”と呼ばれる、室町時代から続く湧水利用場所だ。段差になった四つの石造りの水槽は、上流から飲料、米磨ぎ、野菜洗いなどと使い分け、最後は長良川の支流へ流れ落ちる。ここへの路地だけが何故か人が集まって賑やかだ。近づいてみると中国人観光客だった。こんなチマチマした観光スポットを彼らはどう感じているのだろうか?(左上)
次は八幡町を貫く吉田川(先で長良川に合流)を渡り、これも用水が流れる“やなか水のこみち”へ向かう。この付近は小さな美術館なども在り落ち着いた雰囲気が良い。(右上)そこから一旦街の中心部に戻り東に向かうと、古い木造の旧八幡町役場(観光案内所)があり(左)、その脇をさらに東に向かって“いがわこみち”と呼ばれるかなり長い用水路に沿った道を行く。ここには鯉や名の知れぬ淡水魚が泳いでいて、水が名物の景観を楽しませてくれる。(右下)
この小道を出てしばらく行くと八幡小学校に突き当たるので、北へ折れて吉田川を跨ぐ学校橋”と名付けられた橋を渡っていると、“ここからの飛び込みは慣れぬ人には危険です”と言う看板が立っている。思い出したのは夏になると風物詩としてTVなどで紹介される、子供たちの飛び込みシーンである(飛び込んでいいのは一つ下流の新橋)。下を見ると深い淵になっているが、直ぐ横には岩が見え隠れしている。高さは7,8mあり、“慣れぬ人”どころか地元の人でも死につながる恐れも充分ある。“飛込み禁止!”とすべきだろう。それとも学童はいいのだろうか?これでマークをしてもらった水周りは一巡。次は街中を見て歩くことにする。
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(郡上八幡;つづく)

2013年6月8日土曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-6


5.郡上八幡へ向けて(2
景色の良い新しいSA30分ほど過ごし、ここで今日の最終目的地、郡上八幡のシティホテル吉田屋をカーナビにセットする。事前にナビタイム(PCソフト)で決めたのと同じようなルートが現れたので、プロファイル(通過道路名)で確認すると、PCで選択された東海環状道路経由ではなく、名神に入り一の宮JCTで東海北陸道へ入る道筋を選んでくる(地図上ピンクがPCナビタイム、黄色がカーナビ指示)。次の候補を探しても東海環状道路は出てこない。選択ロジック(最短距離、最短時間)は変わりないはずなのだが何故だろう?優先順序が違うのだろうか?それとも料金に違いがあるのだろうか(そんなはずは無い)?こんな疑問は残ったが、カーナビの第一案がオリジナルの到着時刻に近かったので、この案を設定した。東海環状は一度も通ったことが無いので未練もあったが、問題もあった。直近のSAが美濃賀茂で相当距離があり、昼食が1時過ぎになるのだ。
新東名を走り出すと、昨年の開通時に比べややトラックが増えているものの、それほど混んでいない。道路幅も広く、カーブの曲率なども走り易く作られているのに、距離の違いや高低差が燃費に影響するから避ける車が多いのだろうか。幸い原因不明の“ドン”も消えて、クルマも道も走りを楽しむには持って来いのコンディションだ。今のところこの道には(多分)速度自動取締り機は設置されていない。しかし、パトカーの出没頻度は高く、専用のUターン場所もある。前車を追い抜くために追越車線を飛ばしていると遥か後方に何やら迫ってくるクルマがいる。遠方からだと工事屋のライトバンが屋根にはしごでも載せているように見える。しかし、チョッと背が低い。用心のため走行車線に戻ると、白黒に塗り分けられた静岡県警のパトカーが追い越していった。しばらく誰も追越車線へは出ない。
山間から下り降りると三ケ日JCTで東名に合流し、三車線びっしりのトラック街道に戻る。この状態は豊田JCTまで続き、かなりのトラックはここで伊勢湾岸道路に分岐していく。多分名古屋を迂回するルートとしてはそちらの方が短く、新名神へ抜ける方が走り易いのだろう。JCTを出て直ぐの所に上郷SAが在るので、我々はそこで昼食にする。時刻は丁度12時、距離は310kmであった。無論食べたのは“(海老天)きしめん”(680円)である。
40分ほどこのSAで過ごし、再び東名に戻る。ここら辺りは一度も走ったことの無い区間なので専らナビが頼りだ。特に、東名・名神と中央道が交わる小牧JCTは要注意。それを抜けるとチョッと余裕が出てくる。取締り機やパトカーに気を配りながら追越車線に出る。前車に追従していると後方に赤く平べったいクルマが迫って来る。フェラーリか!?相当速いので車線を譲ると、何とレクサスLFAだ!世界500台限定販売(アッと言う間に完売)、4千万円は日本の量産車として断トツの高価格車、実車を見たのは初めてである。さすがトヨタのお膝元。今回のツーリングでの“オッ!”第一号である。
一の宮JCTで東海北陸道に入る。しばらく市街地高架の片道2車線だが交通量がガクッと減る。各務ヶ原を過ぎると山がちになり長いトンネル(各務ヶ原トンネル;3km)が現れる。抜ければ山の中。陽光に映える新緑の木々が美しい。美濃関JCTでオリジナル案の東海環状と交差する。トンネルの多い道を、偶に前に現れる土地のクルマを一気に追い越しながら、クルージングを楽しんでいると間もなく郡上八幡ICだ。古い市街地を走るときによく起こるのだが、このナビはどうも走り易さを全く考慮せず、ひたすら最短を目指すらしい。「何故こんな狭い道を!」と思っているうちに吉田屋の前に出た。到着時刻は計画通り丁度午後2時、家からの距離は424kmだった。駐車スペースの隣に“オッ!”第二号が居た。
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(次回;郡上八幡)

2013年6月6日木曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-5


5.郡上八幡へ向けて(1
一週間前からの予報どおり、514日(火)の朝は晴れだった。今日の行程は約420km、ほとんどが高速を走ることになる。自宅からの乗り口は横浜・横須賀(通称横々)道路と湾岸道路をつなぐ中間点に在る堀口能見台、ここまで500m程度一般道を行くだけだ。自宅出発は750分。この時間帯は都心への通勤で混むはずだが、横々の走行車線はつながっているものの、追越車線は比較的空いている。しかし六ッ川料金所を過ぎ保土ヶ谷BPに入ると三車線とも流れているものびっしり埋まってくる。特にトラックが多い。比較的速く走れるのは追越車線だが、東名への分岐は一番左側の走行車線になるので最初は真ん中の車線、本村を過ぎる辺りから左車線に移る。下川井を過ぎる辺りから右2車線は16号線合流で渋滞が始まり、むしろ左車線の方がスイスイ進む。この辺りはしょっちゅう走っているので、読みどおりだ。
横浜町田ICで東名に入る。どの車線も車が数珠つながりだが渋滞しているわけではない。しばらく幹線高速に慣れるため真ん中の車線を走る。東名を西に向かうときはいつもそうなのだが、最初の休憩地点は自宅を出て1時間強の足柄SAを目指す。ここまではカーナビも使わない。やや空いてくるのは厚木ICを過ぎてから。ここからは追越車線はかなり飛ばせるのだが、一ヶ所速度自動取締り機があるのでそれを過ぎるまでは要注意だ。我慢して追越車線には出ないようにする。
横々・保土ヶ谷BPを走っていたときにも起こっていたのだが、時々不規則に軽い“ドン”と言う音が背中の方でする。寒くなってからはこの車を動かすのも2,3週間に一度三浦半島ドライブをする位、久し振りに乗ると偶にこの音がするのに気がついていたが、走りに異常はないし乗っているうちに治まってくるのであまり気にしてはいなかった。しかしこの朝は自宅を出てからかなりの距離を走ったにもかかわらず厚木を過ぎても相変わらずドンとくる。先が長いのに嫌な出だしだ。真ん中の車線を走り続けたのは、このことにもよる(この事象は、今回のツーリングではやがて消えていくが、その後も全く無くなったわけではない。近く本格的に原因究明に入る予定だ;点火ミス(点火プラグのさびなど)によるミスファイアか?)。
少し靄って入るが晴れた空に富士山が一段と美しい。足柄SAでそれを見ながら一休みしようとランプ(誘導路)に入る。よく利用しているSAなのに一瞬判断を間違え、大型車のエリアに入り込んでしまう。どこかで小型車エリアへ移る道があるはずだと思ったが、完全に敷石で区切られている。大型車エリアに空きは充分あるので、停めてもいいのだが、フッと昨年春に開通したばかりの新東名を走ったとき、駿河湾沼津SAへ立寄った際、平日にもかかわらず満車で休めなかったことを思い出し、そこへ向かうことにする。
今度は充分空いていた。前回はここの駐車場をしばしうろついた後、次の静岡SAで休むことになるわけだが、山間で眺望は全くきかず失望した。今度は違っていた。気温が高くなってきているので薄く霞がかかっているものの、沼津市内から駿河湾、その先の伊豆半島まで見渡せる眺めは、旧東名を含めこの道筋一番の景観と言っていい(ただし富士山は見えない)。駐車場がいっぱいになっていた理由は、この景色を見れば当然と納得した。
ここのコーヒー店は上島珈琲の経営である。眼下の富士市に工場が在り、現役時代IBMの営業と一緒に訪れたこともある。良い香りのする淹れたてのコーヒーをテラスで味わいながらそんなことを想い出していた。
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(次回;郡上八幡へ向けて;つづく)

2013年6月2日日曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-4


4.休憩・立寄り地とSS
これくらいの長距離ドライブになると、観光スポット以外にいろいろな立寄り地点を検討しておく必要がある。23時間毎の息抜き・休憩、トイレ、昼食、お土産、ガソリン補給などがそれらだ。高速の休憩は、SA(サービス・エリア)、PA(パーキング・エリア)でとることになるが、PAは数は多いが、景色を楽しむ術は無く、入り出の減速・加速ランプが短く、駐車場もトラックと一緒なので気分が休まらない。設備も自動販売機とトイレぐらいしか無いから出来るだけ避ける。その点SAは駐車場の使い分け、諸設備、景観も遥かに優れている。特に食事は、ファースト・フード(セルフ)とレストラン、さらに麺類やパン屋、コーヒー・スタンドが別にあったりするので、そのときの体調などで選択できるのがいい。
初日の郡上八幡までは、ネットのルート検討で出てきた経路は;東名(新東名)→東海環状→東海北陸と走るので、郡上八幡ICを下りるまで約420km、一般道は全く無い。走行時間は5時間、少なくとも2回は休憩が必要だし、どこかで昼食を取らなければならない。選んだのは、東名の足柄SAと東海環状の美濃賀茂SA(昼食)である。この間で必要ならばPAでのトイレ休憩を入れる。
二日目は永平寺まで一般道。郡上八幡から越前大野までさして大きな町も無いので、休憩場所は観光スポットの駐車場か道の駅くらいである。幸い九頭竜湖付近に二つともある。問題はガソリン、郡上八幡で補給すれば翌日天橋立まで充分走れる。郡上八幡から北へ10kmほどの所にゼネラルがあるのでそこを第一候補にする。さらに観光予定地の越前大野にはエッソとモービルが数軒ある(こんな小さな町にしては数がやけに多い)のそれらを予備とする。昼食は少し頑張って永平寺で摂ることにした。永平寺以降は福井北ICまでは一般道。この間は僅かなので休みは不要。ここで北陸道に乗り敦賀ICまでの間にPASAがそれぞれ一ヶ所あるので必要ならそこで休憩する。さらにその先の三方五湖レインボーラインは観光有料道路なので途中に広く設備も整った駐車場がある。
三日目は先ず天橋立が目標。ここにはゼネラルのSSがあるのでそこを目指すことにする。一般道で100km3時間弱)、高速経由では120km2時間)。どちらを行ってもほとんど休憩不要だ。ガソリン補給のほか昼食も天橋立で摂ることにする。この後丹後半島の経ヶ岬を経て城崎に向かうが。経ヶ岬でおやつ休憩をとればいい。
四日目はチョッと難しい。城崎を出て兵庫県の丁度中心に近い朝木市の和田山と言う所で北近畿豊岡自動車道に乗る(ここまで城崎から約45km)と自宅まで自動車道のみとなる。城崎からの総距離数は約600km。幸い和田山にエッソがあるのでここで満タンにすれば何とか自宅まで到達可能だが、万が一渋滞に会ったらチョッと危ない。途中にエッソ・モービル・ゼネラル(E/M/G)は在るか?唯一在ったのは東名富士川SAだけである。新東名の方が走り易いがやむなく旧東名を行くことにする。神戸京都間は名神の最混雑区間、昼食は新名神で摂る予定を組む。さらにこの日は自宅到着が夜9時近くなる予定なので晩飯のことも考えなければならない。第一候補は足柄SA、第二候補は海老名SAとする。
この立寄り地点(SSを含む)検討で一番綿密に当ったのはSSである。E/M/Gが利用できれば、東燃OB用のコーポレート・カードで割引が効く。これだけの距離になるとバカにならない。しかし、随分以前からE/M/Gは地方展開を極力抑えており(経営効率が悪いので)、こちらの旅程に欲しい場所にSSが在るとは限らない。従ってE/M/Gのホームページでルート上のSSをほとんど全てチェックし、万が一の代替案も含め、カーナビにセットするための住所・電話番号を控えて出かけた。しかし、想定外に何ヶ所かで遭遇した。それらについてはあとの報告の中で紹介する。
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(次回;郡上八幡へ向けて)