<今月読んだ本>
1) 名画を見る眼-Ⅰ、Ⅱ(高階秀爾);岩波書店(新書)
2)同志少女よ、敵を撃て(逢坂冬馬);早川書房(文庫)
3)町の本屋はいかにしてつぶれてきたか(飯田一史);平凡社(新書)
4)ロシア政治(鳥飼将雅);中央公論新社(新書)
5)次期戦闘機の政治史(増田剛);千倉書房
<愚評昧説>
1) 名画を見る眼-Ⅰ、Ⅱ
-カラー版への改訂で、我が国西洋絵画評論第一人者の解説を、現物鑑賞するように理解出来る、入門者必読の二巻-
「現役を引退したら」と期待していた第一は旅行、海外旅行と長距離ドライブ旅行だ。これに次ぐのが音楽と絵画の鑑賞。海外旅行は現役時代訪れる機会の少なかった欧州中心。英国に長期滞在したあと、イタリア、フランス、スペイン、ドイツと巡り2018年で打ち止めとした。長距離ドライブはスポーツカーを入手、沖縄を除く全国都道府県を巡り、2020年2月免許証返納で終わりになった。音楽は東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会会員になり年10回ほど出かけていたが、聴力低下で補聴器を着けだしてから、音質が年々悪化、ついに退会した。残るは絵画鑑賞というのが現状である。しかし、これも問題を生じ始めている。コロナ禍での様々な制約はともかく、チョット名のある企画展となると混雑が半端でないからだ。そんなわけで、本物と比らぶるべくもないが、最近は専ら書物で楽しむ方策を模索している。
音楽の楽しみは軽音楽やジャズから始まったが、後年クラシックに広がり、東フィル会員に至る。この間NHKFMで長く吉田秀和の解説を聴くことで啓発されることが多く、第一人者に学ぶことの重要さを改めて教えられた。音楽が吉田なら絵画は高階(両者とも文化勲章受章者)。そんな思いで本書を手にした。
著者は1932年生まれ、昨秋92歳で亡くなっている。東大教授(近代美術史)、国立西洋美術館館長、大原美術館館長を歴任した、西洋絵画(特にルネサンス以降)の泰斗である。
本作(2巻)の初版発刊は1969年、半世紀を超えるロングセラーだが、当時格別絵画に関心がなかったこともあり、手にする機会はなかった。本書を購入しようと思い立ったのは“カラー版”にある。西洋絵画の鑑賞の肝は色にあるからだ。さすが岩波、新書とはいえ、素晴らしい印刷で解説内容が良く伝わる。
2巻で取り上げられる画家・作品は、油彩画の創始者、オランダのヤン・ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」(1434年、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)から同じオランダ人のピエト・モンドリアンの抽象画「ブロードウェイ・ブギウギ」(1943年、ニューヨーク近代美術館(MOMA)蔵)まで時代順に29人・29作品。一つの作品について自作や他の関連作品を平均5点ほど、これもカラーで援用するから、約150点の西洋画を紙上鑑賞できる。
先ず対象作品を1頁(大作は見開き2頁)で見せ、そのあと見所を中心に絵そのものを解説、続いて絵の意味や背景(ギリシャ・ローマ文化あるいはキリスト教、先行する同題材作品との関わり、作家やモデルに関するエピソードなど)で画家と作品への関心を高めていく。次いで色彩学や光学、遠近法の知識も交えながら絵画史上の特質に触れ、いずれの作家・作品も時代を画するものであることを、分からせる。例えば、モネの「パラソルをさす女」(1886年、オルセー美術館蔵)では、色の三原色を混ぜれば黒になり、光の三原色を合わせれば白になることを述べたのち、モネが微妙な筆使いで三色を点描(離れた肉眼からは判別不可)して、光の表現を調整していることを明かす。同じ“光の画家”と呼ばれるレンブラントやフェルメールとの違いはそこにあるのだ。三次元空間を忠実に描こうとする伝統画法に対して、キャンバスという二次元空間を積極的に生かそうとするマチスの「大きな赤い室内」(1948年、ポンピドーセンター蔵)や二次元の世界で三次元表現を生み出したピカソの「アヴィニョンの娘たち」(1907年、MOMA)、さらには心象現象を取り込んだ(ここまで来ると音楽との共通性がでてくる)カンディンスキーの「印象;第四番」(1911年、ミュンヘン・レンバッハ美術館蔵)など、「そう言うことだったのか」と絵画鑑賞の奥の深さを再認識させられた。
上記以外の作家は;ボッティチェリ、レオナルド、ラファエルロ、デュラー、ベラスケス、レンブラント、プーサン、フェルメール、ワトー、ゴヤ、ドラクロワ、ターナー、クーベル、マネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ロートレック、ルソー、ムンク、シャガール。
ルーブルで、ウフィッツィで、プラドで、メトロポリタンで、MOMAで実物を観た作品もあるのだが、その時は「見た見た」で終わっており、反省しきり。これから西洋絵画を楽しみたい人には必読の入門書である。
2) 同志少女よ、敵を撃て
-実在したソ連女性狙撃手から着想した、独ソ戦を舞台にした少女の復讐劇、若い日本人作家がよくこんな作品を!と驚く出来映え-
シエレメチェボ国際空港はモスクワ中心部から北北西約30kmの所にある。私が頻繁にロシアを訪れていた現役時代(2003年~5年)には、空港-市中間の交通手段はクルマ・バスに依るしかなく、いつも渋滞に悩まされた。最大の隘路はモスクワ環状道路とそこから放射状に広がる自動車道のジャンクションである。空港からの道もその一本、少し走っては直ぐ止まるその結合部に、よくTVや映画で見かけるコンクリート製の角材3本を組み合わせた対戦車バリケードを模した巨大なモニュメントがある。ここまでドイツ軍が侵攻してきたことを残すため建設された記念碑である。そこを通過するたび独ソ戦を身近に感じた。本書の主人公が住む村は、遙かにモスクワから遠い北方にあるが、その村もドイツ軍に蹂躙され、母を含む全村民が虐殺されるシーンから始まる。
本書は、極めて珍しい、日本人作家による、日本も日本人もまったく登場しない、独ソ戦を舞台とする戦争サスペンス小説である。おまけに、日本では希有なスナイパー(狙撃手)を主役に据えたものである。我が国陸軍に狙撃兵という兵種はなく、射撃成績の優れた者を選抜射手とは呼んだものの、狙撃を専門に扱う部隊が存在したことは無いし、負け戦のゲリラ戦はともかく、戦術としてこれを位置付けることもなかった。こんな世界を若い作家(1985年生まれ)がどう扱っているのか、そこが本書購読の一つの理由である。もう一つの理由は、帯にある「高校生直木賞」である。「これはどんな賞か?」「高校生がなぜこんな戦争小説に惹かれるのか?」にある。
高校生直木賞はおおよそ以下のようなものである。2014年ある文芸評論家である大学
教授が立ち上げたもので、本ちゃんの直木賞候補最終作品(5~6)を高校生に評価させる方式のようだ。2018年から文科省・文藝春秋社が後援するようになり、基本的に学校毎の公募で集めたものを、この章のために設けられた委員会で最終決定する。どのような講評だったのかは不明だが、本書は2022年大賞受賞作品である。
1942年2月主人公のセラフィマは18歳、彼女の住む村は自給自足の寒村。父は革命後の内戦の後、帰村はしたものの病で死去、母娘は狩猟で村の生活を支えている。二人で森に出かけ鹿を一頭仕留め村が見えてきた時点で異変に気づく。そこにドイツ兵の姿があったからだ。母は猟銃で指揮官を狙うが、それより早く狙撃兵に射殺される。彼女も捕らえられ陵辱を受ける寸前、赤軍が現われ九死に一生を得る。赤軍の目的は独軍との戦闘ではなく、女性狙撃手のリクルートにあり、その指揮官イリーナ上級曹長の勧めで訓練学校(中央校の下に多数ある分校。イリーナは分校長)に入校する。本書の前半はこの訓練学校での厳しい射撃訓練の様子に割かれる。「なるほど、狙撃手はこのように育てられ、選ばれていくのか」とその訓練課程を学ぶことになる。
イリーナはかつてリドミュラ・パヴリチェンコのパートナーとしてウクライナ・オデッサ、クリミアの要衝セバストポリで戦い、手を負傷したことで後進の指導役になっているが、98名を血祭りにあげたベテランという設定だ。因みに、本書でリドミュラも登場するが、この女性は実在の人物(ウクライナ人、キエフ(キーウ)大学史学科在学中志願)。戦後まで生き残り309名のドイツ兵を倒し、レーニン勲章を受章、ソ連邦英雄となった人物である。
厳しい訓練で入学時の12名の内卒業できたのはセラフィマを含め5名。イリーナを隊長とする最高司令部(RVGK)所属の狙撃兵旅団第39独立小隊を編制、どの歩兵師団にも属さない狙撃専門の特殊部隊として転戦する。
後半はこの部隊のスターリングラードの戦いにかなりの紙数を割いたあと、1945年4月東プロシャの要塞都市ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)の戦いで、追い求めてきた宿敵、母を射殺した独軍狙撃兵ハンス・イェーガーをセラフィマが仕留めて長い戦いが終わる。この時点での射殺数75名、階級は少尉に進級している。
高校生が惹かれた一つは同世代の“少女”にあるだろう。幼なじみのボーイフレンドが勝ち戦の中でドイツ人女性を陵辱するところを射殺する場面が共感を呼んだのかもしれない。
事実との考証がどの程度正確かは不明だが、巻末の参考文献を見る限り、丹念に調査した跡が窺える。直木賞最終候補作品と残っただけの読み応えを味わえる出来映えだった。
3) 町の本屋はいかにしてつぶれてきたか
-中小書店に的を絞った「日本書店経営史」と言える本書から、我が国出版ビジネスの病根が見えてくる-
中学生時代の行きつけの本屋は「明正堂」。上野広小路交差点近くにあり、経済復興とともに拡張、広げ切れなくなり、春日通りと昭和通りの交差点に新設されたNTTビルの一階に移り、倍する大きさになった。高校時代は松戸駅東口前にあった「堀江良文堂」がそれに代わった。この店も都内に姉妹店を持つようになる。大学時代は学校周辺に書店が多数あり、反って“行きつけ”はなかったが、書店立ち寄りの習慣は変わらなかった。就職して和歌山県有田市で寮生活に入る。最寄駅の初島には書店はなく隣の箕島駅近くに、まったくその通りの「田舎書房」があり、お得意さんとなった。和歌山で初めて知ったのは外商、和歌山市内の目抜き通りにあった「宮井平安堂」が工場まで出向いてきてくれるのだ。支払いは給料天引き、専門書類や硬い内容の単行本はこれで求めた。川崎工場時代は専ら駅ビルの本屋。本社に移るとパレスサイドビル内にあった「流水書房」の個人客としてはかなりの位置になり、高価な本は分割払も認めてくれるほどになった。ここも洋書部をビル内の別の場所に設けるなど、拡大基調だった。そして現在、宮井平安堂を除く書店はすべて消え失せてしまった(宮井平安堂は規模を縮小、文具店を兼ねながら南海和歌山市駅ビル内で営業中と聞いている)。
書籍販売のピークは1995~6、その額は2兆5千円を超えている。書店数は1997年の2万2千店が最多、以後両者とも右下がりで、2023年の販売額は、電子書籍を除くと1兆円強、書店数は2024年約1万店に減じている。2010年代に入り、読書離れ、書店消滅に関する書物が溢れだし、本欄でも何冊か紹介、直近では「なぜ働いていると本が読めなくなるか」を取り上げた。これら既刊書に共通するのは、ピーク時以降の衰退を対象とし、比較的短期で、ジャーナリスティックな基調のものが多い。それらに対し、本書は「日本書店経営史」と言ってもいい内容で、町の本屋(中小個人経営書店)に焦点を絞った、本格的な調査・分析報告である。実は、衰退の兆候は1960年代から現われているのだ。
出版業の流れは、出版社→取次→小売書店。この構造の中で書店の粗利益(業界用語では正味)は22%で終始してきた。小売業ではワースト業種の一つである。最大の要因は小売に価格決定権(出版社が持つ)がないことだが、物流や配本の権限あるいは支払い条件を取次に握られていることも大きい。それでも輸送費や人件費が安かった時代は、兼業からの収益も含め(文具など雑貨の粗利は50%)、なんとか経営を維持できていた(戦前は特運制度で送料は格安だった)。この収益構造を改善するためには、本の価格アップと出版社・取次の取り分の一部を小売にシフトすることだが、零細な多数の店を一つにまとめ交渉することは不可能だ。出版社は時代が下るに従い低価格指向が強まる(新書、文庫、マンガ、雑誌)。このような収益構造が物流コストや人件費上昇で、多くの中小書店の経営を圧迫、倒産・廃業に追い込まれているのだ。
経営実態もう少し掘り下げると、種々の問題点が浮かびあがってくる。ものの値段は、一応希望価格はあっても、需給関係で決まることは中学の社会科で習う。書籍の値段もそうあるべきだし、米国では幅を持って売られている。しかし、日本独特の再販制度(出版社が取次に売り、取次が書店に売るためこの名称がある)の下では、出版社が決めた定価以外で売ることが禁じられている。本来これは独禁法違反になるのだが1958年公正取引委員会はそれを例外として認めている。この特例は売れない本の返品とセットになるが、そこにも書店側に負担がかかる仕組みなのだ。
店舗の新設にはどんな業種にも制約があり、1960年代までは書店業界でもこれが守られていた。しかし、先ず新聞スタンドや駅のキオスクで雑誌販売が認められる。仕入れのルートが異なり、書店よりは早売りが可能になる。それにコンビニが加わり、収益源の主力であった雑誌販売が低下していく。これと併行するように大規模小売店法の改定でスーパーでの書籍販売が可能になり、更に中小書店の経営を圧迫する。最後にやってきたのは通信販売、紀伊國屋書店(1989年)や丸善がPC通信で始めたころは、店頭販売を脅かすような存在ではなかったが、最後発のAmazonの進出でとどめを刺される。Amazon成功の鍵は、キャッシュフロー重視(顧客からの引落しと出版社への払込みタイミングの調整)、カスタマレヴューの効果、プライム会員の送料無料サービス、巨大流通倉庫、ポイント付加によるは事実上の値引き。結果としての販売量に出版社・取次も抗しきれず、Amazonフォローに転じる。
今や(2024年11月)、無書店自治体は28%、書店も図書館もない町・村は31%に達している。
著者が本書で主張するのは、中小書店衰亡はネットやスマフォのせいでそれが起こっているのではなく、本来のビジネス形態の異常に根源があると言うことであり、淘汰の後に時代に即した新しい書店(例えばカフェ併設の兼業書店)の出現を期待して結ぶ。
著者は1982年生まれ。出版社で編集業務に携わったのち独立。出版産業に関する調査・執筆活動を行っている。
本書は先に述べたように、「日本書店経営史」といえるユニークな内容。その点は大いに評価するのだが、援用情報源が多種多様かつ多量で、報告書としてはともかく、読み物としては少々くどいことが難点だ。
4) ロシア政治
-権威主義統治は「ロシアの国民性」説に挑戦、多角的な政治システム分析で、この通説を覆す、若き研究者の注目すべきプーチン統治の実態-
2003年12月、私はヴォルガ河中流域の工業都市サマーラからさらにクルマで南へ30分ほど行った所に在るユーコス石油クイヴィシェフ製油所にいた。10月に実施した、IT活用度調査の分析結果を報告するためである。この日は日曜日、前日から宿泊している製油所のゲストハウスで朝食を摂ると、雪は積もっているものの、好天の明るい陽に誘われ散歩に出た。休日なのにわりと人が出ているのは、この日が大統領選挙投票日だからだ。彼らについて行くとそこは学校、投票所は日本同様だった。帰途キオスクのような店の前で同行している通訳(英露)のGに出会った。タバコを買いに来ていたのだ。ゲストハウスへの帰途、大統領選について話し合う。「投票はどうしたのか?不在者投票をしたのか?」と問うと、「プーチンが当選に決まっている。私もプーチン支持だから、行かなくても結果は希望通りになる」と返ってきた。そして、ソ連崩壊後エリツィン政権までの間の、旧共産党幹部による国有財産収奪・私物化の酷さを語り、2000年のプーチン大統領就任後、それが徐々に正されていることを高く評価した。
実は、この時の旅は、この製油所を含む、いずれもユーコス石油傘下のシズラン、ノボ(新)クイヴィシェフの3製油所を訪ねるものであった。そして、ユーコス社はソ連崩壊時、かつてコムソモール(共産主義青年団)幹部であったミハイル・ホドルコフスキー(モスクワ化学技術大学出身)が手にした国営製油所から成るものであり、プーチン大統領第一期、オリガルヒ(どさくさ成金)退治の標的の一つとなって、前回訪問時(10月)脱税の罪を問われている状況下にあった。「製油所へ行ったら絶対大統領選を話題にしないこと」。これが事前に与えられた警告であった。本書の中で、このプーチン対ホドルコフスキーも取り上げられている(ホドルコフスキーは有罪・収監、8年の刑期を終え英国に亡命。その間ユーコスは当時はるかに規模の小さかった国営石油企業ロスネフチェに吸収され消滅)。
ロシアで仕事をするようになって以降、時に触れてその政治体制やプーチンに関する本を読んできた。それらの知見から見たとき、本書は最もソ連崩壊後の政治環境変化を、包括的かつ冷静に、まとめ上げた価値ある一冊といえる。特に、時代と読者におもねるようなジャーナリスティックな筆致をまったく感じさせないところを評価する。
著者は1990年生まれ。東大法学部から大学院博士課程に進み(法博)、この間2016年~18年サンクトペテルブルク大学・カリフォルニア大学バークレー校に留学、ウクライナで現地研究も行っている。専門は比較政治学・旧ソ連地域研究。現在大阪大学大学院法学研究科准教授。本書の素は科研費対象研究にある。
先ずソ連崩壊直後から直近のウクライナ戦争に至る、ロシア政治の変遷を概観した後、2000年プーチン大統領誕生以降のそれを多角的に分析する。多角的と言うのはプーチン個人よりは広義の政治制度に力点を置いているとの意である。それは;国家を統治する主要機関(大統領を含む)やその運営の仕組み、政党と選挙、中央と地方の関係、政治と経済の関係、法執行機関(軍、警察・検察、諜報機関など)、市民社会とプロパガンダ、などに分類され、それぞれを詳述する。中でも、政党と選挙、中央と地方の章で教えられることが多かった。
プーチン支持率はウクライナ戦争開戦前(2022年1月)に69%だったものが2024年には85%に上昇、今や「プーチンなしのロシアなし」の状態。戦時の愛国心だけでこの数字は得られない。エリツィン時代の混乱を鎮める段階から各種統治制度の改革まで、大統領職権を強める施策を巧みに打ってきたことが、この数字につながってきているのだ。
その人気の根源を著者は3点に要約する。1)1990年代の混乱(民主制に対する懐疑)からの回復、2)経済成長(原油価格上昇が寄与)、3)大国としてのロシアの復権、がそれらだ。そして、権力確立が、単に抑圧だけでなく抱き込み・懐柔策(例えば、人事、利権)をも巧みに組み合わせることで、反プーチンを封じ、人気維持をもたらしていると見る。そして「プーチンが指導者としての座を降りても、ロシアの権威主義体制が変化する可能性は低い」とし「より長いスパンでロシアの政治体制を考えるべき」と結ぶ。
5) 次期戦闘機の政治史
-米国一辺倒だった新戦闘機導入、それを破る日・英・伊による共同開発が始まる。並行して進む米第5世代戦闘機F-35の大量導入。政治はどう動いたか-
大学へ入学した年(1958年)、航空自衛隊(空自)の次期戦闘機をめぐり、ロッキード(F-104)対グラマン(F11F)の論争が起こっていた。一度はF11Fに内定していたが、F-104が巻き返したのである。これを決着させるため、源田実空自幕僚長を団長とする派米調査団が編成され、それに今も親しく付き合っている、クラスメートの父親がメンバーの一人となった。この人は元海軍技術中佐、この時は運輸省(現国土交通省)航空技術研究所所長だった。調査団が選んだのはF-104。あの逆転劇に政治が絡んでいたことは間違いないが、その真相を知ることはなかった。本書の出版を知ったとき、「もしやあのときの経緯が・・・」と期待して購入したが、そこまで歴史を遡るものではなく、これから始まる、日・英・伊による第5世代戦闘機(F-3)共同開発と既に部隊配備が始まっている米国ロッキード・マーチン社製F-35に関することが主題だった。
最近の戦闘機は高性能ゆえに高価でもあり多用途化傾向にある(空・海共用あるいは戦・爆兼用のように)。しかし、大別すると空戦を主体とする制空戦闘機と対地支援を主眼に置いた近接支援戦闘機の二種となる。現在の空自ではF-15(イーグル)とF-4(ファントム)が前者でF-35がF-4の後継。日米共同開発のF-2が後者となる。残念ながら、我が国に世界最先端を行く制空戦闘機を独自開発する力はなく、先のF-104、続くF-4、F-15、そしてF-35と米国製をライセンス生産するに留まっている。
しかし、対地支援戦闘機ではエンジンこそロールスロイス(英)/チュルボメカ(仏)共同開発のアドアーを採用したものの(IHIでライセンス生産)、機体は三菱重工が開発、F-1として空自に採用され、1977年量産機が初飛行、2006年まで運用されている。この後継機として1980年代半ばに計画検討を始めたのがF-2、F-1の実績を踏まえ、エンジン開発も含め純国産を目指すが、貿易不均衡にあえぐ米国がこれに待ったをかけ、結局日米共同開発の名の下、ジェネラルダナミック社(GD)製F-16戦闘機をベースにしたF-2開発が決まる。4章から成る本書ではこのF-2開発における“不平等条約”もどきの共同開発実態解説に1章を割く。技術経営という視点からはこの章が最も読み応えがある。誤解なきよう付記すれば、F-2は目的に適った戦闘機として空自内の評価は高い。また、ベースとなったF-16はNATO諸国や韓国など多数の国に導入されている。
このF-2の後継機が日・英・伊共同開発のF-3。過去すべての戦闘機を米国に頼ってきた空自、安全保障と国際政治の根幹に触れる案件だけに、ここに至る経緯解明は、次期戦闘機問題を深耕するため、米国特派員を志願し実現した著者の熱意がフルに伝わってくる部分だ。独自開発、日米共同開発、米国を除く他国との共同開発、の3案を俎上にあげ検討が始まる。支援戦闘機とはいえ戦闘機開発には膨大な資金を要する。独仏も共同開発を既に開始しており、独自案は最もハードルが高い。米国との共同開発はインターオペラビリティ(共同運用)の観点で最有力だが、F-2のトラウマが拭い去れない。それでも無視することはできず、サウンディングしてみるのだが、なぜか積極的に乗ってこない。米空軍はこの種の機種に無人機を優先させる考えなのだ。英国はユーロファイター・タイフーンの後継機テンペストを検討中、そこから提携条件の良い秋波が送られてくる。それにイタリアが加わる。こうして2023年12月三カ国は共同開発に関する首脳声明を発して計画が動き出すが、そこに武器輸出規制問題が生起する。公明党が反対するのだ。種々縛りを入れた上で了承するものの、これが将来日本の弱みなる可能性が残る。
F-3と並んで政治絡みで論じられるのは制空戦闘機F-4の後継機。空自・自民党は最新鋭第5世代戦闘機、ロッキード・マーチン社製F-22(250億円?)の導入を切望するが、米空軍内・議会に技術流出を危惧する声が高まり、交渉は進まない。加えて、高価なことから議会・国防総省は米軍への調達さえ減ずる方向に向かい、ついにオバマ政権下生産中止の断が下される。これに代わって米国が勧めてきたのがF-35(オランダ、イタリアなどが開発に協力。100億円)、海洋に囲まれた我が国には航続距離に難があるものの、代替はなく、次期戦闘機に決する。折しもトランプ政権下、安倍首相の決断は彼を喜ばせる。次の問題は護衛艦「いずも」型の空母への改修計画(「かが」を含めて二艦)とF-35Bの導入。B型は垂直・短距離離着陸が可能なので、母艦に搭載することで島嶼防衛における即応戦力強化につながる。これも公明党の反対を文言修正や運用規制でなんとか乗り切る(例えば、多用途運用母艦→多用途運用護衛艦。常時戦闘機は搭載しない)。最終調達数はA、B合わせて147機、1兆4千7百億円になる。
著者は1970年生まれ。NHKに入局、政治記者、ワシントン特派員、解説委員を務めた後2025年4月退職。本書の情報源は記者時代の活動(番組制作を含む)にあり、自衛隊幹部(空自幕僚長を含む)や重要政策立案検討に関わった政治家へのインタビュー内容が随所に援用され、一連の次期戦闘機の問題点や決定の過程が臨場感をもって伝わってくる。
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