10.瀋陽故宮観光
鉄道博物館のあとは市内に戻って昼食。場所は前々回紹介した、駅近くの西塔街、もとから朝鮮族が多く住む一帯だったが、1992年の中韓国交樹立で韓国(南鮮)人が多く進出しており、ハングル表記が溢れている。その一画にある韓国料理店が選ばれていた。しかし、朝食時には問題なかった胃腸が今ひとつすっきりせず、並べられた多種で大量の料理を見ただけで、軽い吐き気を催す。昨晩の餃子のたたりが、ここで現われたのだ。この日の夕方には長春(新京)入り、私にとっては、このツアー参加の主目的。ここでトラブルは絶対に避けたく、スープとビビンバ三、四匙ほどにとどめ、用心にトイレ(大)も済ます。幸い以後体調に問題はなかった。
この日午後の観光は瀋陽故宮見学。清朝の開祖ヌルハチが1625年ここに開いた皇宮で、その後1643年には首都を北京に移すことになる。そんなわけで故宮と言えば瀋陽・北京(現在天安門を出入口とする紫禁城、明代からの皇宮)となのだが、今回のガイドの説明に依れば、「故宮は三カ所在る」、「それはどこかと?」と問うと「熱河(かつては省だったが現在は河北省)の夏宮」とのこと。これは今回初めて知った。
暑い日差しの中、門前町を経て入場する。観光の目玉は40mある鳳凰楼だがここは大規模な補修中でカバーがかけられている。政務・軍務を行う崇政殿、式典を行う通称八角堂とも呼ばれる大政殿、有力貴族である満洲八旗などの執務棟十王亭、八角堂の背後に配置された皇帝の住まいと後宮などを見て廻った。
平日の午後だが結構中国人観光客が多い。面白いのはかなりの女性が、往時の服装(多分貸衣装)をまとい、宮殿内を観光し。記念撮影などしている。まるで、京都清水寺界隈の外国人観光客と同じ、生活のゆとりさえ感じさせる。
北京と今回の瀋陽で二つの皇宮を訪れているが、規模は桁違い、北京は瀋陽の10倍近くになるようだ。それは今回の訪問でも実感できた。北京は典型的な中国“こけおどし文化”の代表。それに比べればここは質素な遊牧民の流れをくむのか、やたら建物の大きさを誇示していないところが好ましい。ただ、北京・瀋陽ともに、現在は博物館となっているが、それほど観るべき物はなかった。故宮博物館は台北にも在るが、展示物は圧倒的に台北が上だ。
15時前故宮を発ち瀋陽駅に向かい。16時の高鉄で長春に向かう。隣席は一人参加の男性BNNさん。比較的最近引退した人のようで若々しい。「どんな目的で参加を?」と質したところ、「近代史を追っており、いよいよ昭和に入りました」との答えが返ってきた。実は私の瀋陽(奉天)観光の期待も同じ。
満洲国成立のきっかけは、1928年奉天近郊皇姑屯張作霖爆殺事件(国民党軍の北伐で北京を追われた張作霖は本拠地奉天に戻る際、線路が爆破され瀕死の重傷を負う)、1931年柳条湖における線路爆破を中国軍(奉天軍閥)の反日破壊工作として、奉天軍制圧を目的とした満州事変。それぞれの事変発祥地は瀋陽近郊、張親子の屋敷(張氏帥府博物館)は故宮の直ぐ近くに在るのだが、それらを見学することはなかった。つまり昭和史の重要な局面を残す場所を訪れる機会はなかったのである。残念至極!
写真上から;門前町、入場門、崇政殿、大政殿(八角堂)、八角堂前の女真族衣装のおばさんたち(クリックすると拡大します)
(次回;長春へ)
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