2008年9月28日日曜日

滞英記-8

2007年7月10日

 当地もようやく天気回復です。ウィンブルドン決勝、英国F-1グランプリ(この盛り上がりは日本とは比較になりません)は晴天下で行われました。
先週はBBCのパレスチナ特派員;アラン・ジョンソン氏が4ヶ月ぶりにイスラム過激派(Army of Islam)から開放されたことが一番大きなニュースです。
 ここ数週間を通じたニュースは、テロ関連を除くと、ブラウン政権誕生、水害そして直近は公定歩合の引き上げです(確か、引き上げ後5.7%!円安が進むわけです)。この三つが大きく関わる共通の話題は“住宅問題”です。そこで今回は身近な住宅事情をお知らせします。たった2ヶ月の、それも田舎暮らしですから“英国住宅事情”としてはかなり偏った見方であることはお許しください。一つは私の<身近な住宅事情>、もう一つは<Building New Life >と言うユニークなTV番組についてです。

 研究のほうは先週お知らせのように、Mauriceがプラハで開催の学会に参加のため休講です。彼からはこの研究発表のペーパー:<もしドイツの西方電撃戦時(1940年6月)戦術核が双方(英・仏連合対独)にあったら;英陸軍が東西冷戦時NATO軍対ワルシャワ軍対決を、ORを使い研究した結果を踏まえて>を貰っており、これをテーマに話をしたいと言われています(つまり論文を読んでおけと)。
 このレポートをお送りしている東燃の先輩から、“チャーチルが推薦文を書くような権威ある著者が書いた「Adventure Oil」と言う本に、D-Dayに先立ち英仏海峡にパイプラインの敷設を行い、上陸後速やかにガソリンの補給を行ったと言うくだりがある。機会があったら教授に確かめて欲しい”とのお便りをいただきました。Mauriceもこの話は知らないとのことでしたが、“この本に何か関係することが書いてあるかもしれない”と貸してくれた「Most Secret War」と言う本を読みました。これは題目から想像するような“戦争キワもの”ではなく、オックスフォードで物理を学び軍事面での赤外線利用研究をしていた関係でMI6(Military Intelligence Section6;007で有名なMI5は政治関連諜報・謀略を主にし、6部は純軍事諜報・謀略活動を行う部署)の空軍部科学主査となった、R. V. Jonesと言う人(戦後アバディーン大学教授、Sirの称号を貰う)が、ドイツとの科学戦(特に電波戦)について書いた本です。政治家・軍人が科学者とどう関わり、意思決定をしていくかが、具体的課題(例えば、D-Dayに備えてのドイツレーダー網の調査や無力化策)ごとに書かれ、それらの重要課題検討での戦争指導会議(チャーチル主宰)の雰囲気が生々しく描かれています。加えて、筆者が、チャーチルの友人であり彼が科学アドバイザーとして重用(寵愛?)したリンデマンおよびOR生みの親;ティザートと極めて親しい関係にあり、かつ両者にニュートラルに接している人物であったことを、この本を通じて知ることが出来、“ORの起源に学ぶ”と言う研究テーマに新たな視点を与えてくれました。

<身近な住宅事情>
1)全体的な住環境
 ブラウン内閣は総選挙の洗礼を受けていないため、近く選挙が行われるようです。それに備えて与野党とも国民に向け具体的な政策提案を行っています。その中でも大きな話題は住宅建設です。現在の英国は古い住宅が多く(特に大都市は問題が多いようです)、また移民などが劣悪な環境に住まざるを得ないこと(これがテロや犯罪に繋がると言も見方を含めて)も、多く住宅の更新・新築が強く望まれている背景です。潜在実需は23万戸/年と言われていますが、政府は20万戸を目標に掲げています。これは建設実績16万戸との兼ね合いや予算から来ていると思われます。このような実需ギャップから不動産投資はバブルの様相を呈しており、それが今回の公定歩合引き上げに繋がっています。部分的・一時的ではありますが、水害も建築関連のバブル加速要因になっています。
 金利上昇影響の具体的な例としてBBCが取り上げていたのは、若い夫婦で子供(赤ん坊)一人、昨年購入時ローンを組んだ時は400£弱(現在の為替レートで約10万円)/月の返済が、その後今回を含め2回の利上げで470£位になると嘆いていました。就労事情が厳しいこの国では結構負担になるだろうと推察します(大学出立ての公立学校教員の年収(税込み)は1万£(250万円位)/年と聞いたことがあります)。
 ホテル代の高さのみならず、今やロンドンは世界で一番物価の高い都市と言われていますが、日本が嘗て体験したように不動産価格の上昇は他の物価上昇に直接効いてきますからそれを反映した結果でしょう。
2)ランカスターの町と住宅
 ランカスター市の人口は約4万4千人と言われています。これらの人が全部市街地に住んでいるわけではなく、周辺部を含めた人口です。特に多いのは大学関係者ですが、学生・研究者のかなりは大学構内・周辺部に住んでおり、その辺りは市街地とは様相が異なり個人住宅は見かけません。街とそれに繋がる一帯が住宅問題を語る対象地域になります。
 ランカスターの市街を大雑把に説明すると;
 北側を東から西へLune川が流れています。この川の名前がランカスターと言う名称の基だそうです。この川から3Km位南までが市街の南限になります。このさらに南に大学があります。
 市の中心部はマーケット地区と呼ばれ、川から100m位のところから始まり南へ200m位幅は東西100m位の地域です。この地区は南北に走る国道A6が南行き・北行きがそれぞれ一方通行のためできた川中島の感じです。Lune川があるためA6は市街北側ではしばらく川と並行して東に向かい対岸に渡ります。商業施設は殆どこの川中島の中にあり、バスセンターもここにあります。川中島東側を通るA6(南行き)の直ぐ外に市役所・裁判所・図書館などがあります。また、西側を北行するA6の外には郵便局や電話局などがあります。この商業地域には殆ど住宅地はありません。住んでいる人はここで商売をやっている人くらいでしょう。
 鉄道はA6と並行してそのさらに西側を走っています。駅は商業地区を少し離れた(300m位)北西方向にあり、周辺に商業施設はありません。駅とマーケット地区の間の高台にランカスター城(砦)とランカスター修道院があります。ここが第一のランドマークです。
駅の西側(特に北西側)は工業地帯と呼ばれ、昔は栄えたと所のようですが現在は廃屋や倉庫のような施設があるだけです。再開発は工場ではなくスポーツ施設などになっています。しかし、ここには取り残された工場に隣接して場末感漂う住宅地があります。
歴史的には道路・鉄道と物や人の往来に重要な役目分け合ってきた運河が町の南西から東北に向けて官庁区画の後ろを横切っています。
 町の東側は市街からなだらかな上りになっており、その頂上にウィリアムズパークと言う広い公園があり、その一番高いところにアシュトンメモリアルと言う19世紀に財をなした人が建てた、ドーム状の大きなホールがあります(住居はない。現在は結婚式などに利用)。ここの公園からは市街はもちろん、湖水地帯まで遥かに望めるのでホールは第二のランドマークです。
2)住宅地・住宅
 主たる住宅地は、北が川で遮られているので、商業・官庁区画および鉄道の外側、つまり東西南に広がってあります。西の住宅地区には足を運んでいません。商業地区・官庁区画の外延(特に東側)とLune側沿いには4階建てのアパート(フラット)が数多く見られます。市街の運河沿いにも同じようなフラットがあり、再開発で建設中のものもあります。これらフラットの外観は日本のアパートと大差ありません。違いは石積みを模したプレファブ壁を使っているところです。中庭があってそこに専用駐車場などがあります。このような建物の周辺は教会やオフィスビル(と言っても3階までの石積み)などがあって比較的大きなブロックで区切られています。その先にあるのが英国の個人住宅を代表するタウンハウス(棟割長屋)です。何軒もの形の同じ家が壁を共有して並んでいく。キチンと整地し長方形に並ぶのではなく、地形に合わせて段差を作りながら建てられるので写真でおなじみの特徴のある景観が出現します。共有壁の上には何本の短い煙突が立っています。6本、8本、10本と(二戸分なので偶数となる)。これは昔の暖炉の名残、この数で大体部屋数が分かる。今は(ほとんど)使われていないこれらの煙突は先のほうが欠けてしまっているものもあります。
 諸条件(主に経済的な)によってプロット(庭を含む)、大きさ、外装(内装は入ったことが無いので分からない)は異なるが、概ね一戸(一世帯)の作りは、低い塀と鉄製の門、わずかな前庭を経て玄関に至る、外壁は年代の入った薄茶の石、黒味を帯びた部分もある。玄関を入ると半畳ほどの空間、その先にまたドアーがある。そこを入る(ここからは不動産屋にあった間取りからの想像も含む)と直ぐに客間があり玄関の横に出窓がある。奥はキッチン・ダイニングそれにバスルーム。二階には寝室が幾つか、屋根裏部屋があるケースも。また、半地下の部屋が歩道から覗けるような構造もあります(これは市街地中心部)。一階のキッチン・ダイニングの先はバックヤード(裏庭)でここに洗濯物を干す(あるいはささやかな庭園など)。これが何セットも接してあの光景を作り出すのです。門扉の外は歩道さらに車道となる。バックヤード側も道路になっている地区はかなり街の中心を外れてからで、通常街中ではバックヤードを背中合わせに同じ長屋が続きます。そして道路の前にはズラーッと年季の入った小型車が駐車しています。道路を隔てて同じようなテラスハウスが続くので、車道の有効スペースは小型バスが通るのがやっと(もちろんバスなど通れないところもある)。
 同じようなテラスハウスでも少し観察すると中に住む人間像が見えてきます。先ず場所、工場(跡地)に隣接するようなところから、公園に面した明るい場所や見晴らしのいい場所まで。次は前庭の奥行きです(これはかなり住宅の格、中に住む人の生活を想像するのに重要なファクター)。ここがそこそこあると小庭園など造れるので、国道沿いでも上品な感じがします。三番目は何戸で一棟(?)を構成するかです。最小構成は一棟二戸。しかし二戸とそれ以上では大違い。チョッと見は戸建。車は前庭か自宅内の車庫へ収まり路上駐車が無くなります。三戸、四戸もあるが、圧倒的に多いのが十数戸で一棟を構成するものです。こんな家並みの中を通るバスに乗ると(私の家へはこうゆう所を経由してウィリアムズパークで降る)住民のおじさん(おじいさん)・おばさん(おばあさん)と一緒になる。どう見ても労働者階級の高齢者・引退者と言う風情です。このバスをウィリアムズパークより先まで乗ると(一度逆周りで帰った時に知ったのだが)、比較的新しく出来た住宅地に入ります。景観がまるで違います。望遠レンズで撮ると波打つようなあの独特の風景とは無縁になります。日本の新興住宅地とも違い、道も適度に曲がりくねり、整然としていないところが良い。彼らは日当たりにあまり拘らないから、こんなプロットが可能なのかもしれません。ここは芝生の広い前庭がある二戸一棟の家が多く、車庫や駐車スペースが自宅内にあります。一戸建ても入ってきます。周辺は緑も多く、明るさが違ってきます(ただし自宅内に大きな樹木はありません)。棟割長屋街で降りなかったおばあさんたちの雰囲気もやや知的な感じがしてくる。しかし、家そのものは重厚さを欠きアメリカの郊外住宅地に似た風景になる(外壁の石は貼り付けだと直ぐ分かる。多分その裏はブロックでしょう)。
 伝統的な英国様式(特に本物の石造り)を残し、かつ広さや環境に優れた住宅は無いのか?そんな気持ちで街を徘徊していると、「ありました!」。運河に沿う一帯の商業地区に近いところは、もとは倉庫などあったようですが今はその役割を終え再開発の対象地区。アパート建設が進められています。しかし、商業地区を少し外れて運河に沿う遊歩道を歩いていると、瀟洒なテラスハウスが適度な間隔で現れる所へ出ました。一戸分の幅が先ほどの棟割長屋とはまるで違います。運河側がバックヤードのなるわけですが居住者も運河を眺める生活をエンジョイしたいのでしょう、遊歩道からそれぞれの趣向を凝らした庭を眺めることが出来ます。晴れた日の午後、その庭でアフタヌーンティーや黒ビールを楽しんでいる人々を前に、ゆっくり進んでいくこれまた個性豊かなナローボート(運河を旅する人の細長い舟)。こんな風景は日本では無論、アメリカでも見られませんね。でも更に先に進むと対岸は人工的な護岸が無くなり牧草地がそのまま運河に接してきます。牧草地には羊、運河には白鳥を始め水鳥たちが餌を啄ばんでいます。こちら岸もテラスハウスが途絶え、車道を隔てて牧草地です。対岸の牧草地が終わった所から、よく手入れの行き届いた芝生に花々や植木を配した庭園を持つ素晴らしい家々が現れました。大きな窓から庭園・運河・遊歩道・牧草地を眺めることの出来る豪邸(日本人の感覚で)です。運河に繋がるボートハウスのある家もあります。ナローボートで旅する人もワンショットするほどです。これが街の中心部から歩いて20分位の所です。イギリスで一度目にしたいと思った風景が眼前に現れ感激しました。
 究極の英国住宅(?)は広大な敷地・趣向を凝らした庭・城のような屋敷;カントリーハウス、マナーなどに行き着きます。残念ながらランカスターにはこのような大邸宅はありません。ただ湖水地帯に日本のガイドブックにも紹介されるほど有名なマナーがいくつかあり2ヶ所を訪問しました。パレスと呼ばれるようなマナーとは規模も違うようですが、それでも日本人の感覚では“想像を絶する”と言う表現しか書き様がありません。こんな家にはイギリス人も今や(経済的に)住めない状況になってきています。と言うわけで“住宅事情”対象外です。
3)自宅界隈・自宅
 自宅がある場所は、町の東端やや北より、何度がご紹介しているウィリアムズパークの裏(東側)になります。ウィリアムズパークは市内で一番高いところにあるので大変見晴らしが良く公園の西下はRoyal Lancaster Grammar Schoolと言う男子校があります。そんな訳で比較的古くからの住宅地は公園・学校の周辺まで達しています。
 古くからの周辺部(市街地でないこと)を示す場所が幾つかあります。公園の北側は墓地で、1700年代の墓標などがあります。また、前にもご紹介した広い敷地が塀で囲まれた古色蒼然たる正体不明の病院(建物の感じから昔は修道院ではと推察していますが、英国では修道院から転じた病院をしばしば“Infirmary”と呼ぶのです。しかしここはHospitalです)が墓地の更に東側にあります。正体不明の病院と墓地の間を北に向かう道路があり、分岐点に“ランカスターファーム”と示された道標がありました。ファームは農場です。どんなところか出かけてみました。5分くらい分岐路を進むと“ファームと思しき場所”の前は広い駐車場で、そこにパラパラっと車が止まっています。屋根つきのバス待合所もあります。駐車場の周辺は一見公園のようです。さらにその北側に大きな建物があり高い塀に囲まれています。これが農場?と近づいて行くと、駐車場外縁を小さな窓が4,5個付いた白いトラックが高い塀の、色の違った部分に近づいて行きその前で止まりました。「開けーゴマ!」、やがて色の変わった部分がゆっくり動き出すと警報音が鳴り出しました。分かりました!そこは刑務所なのです!何で“ファーム”なんだ?!
 公園の南東裏側には公園と少し距離を置いてランカスターの家畜取引所(オークションセンター)があります。公園の真東(裏)は緩やかに東へ下っていきます。それほど広くはない雑木林が南北に延び、この部分を底辺(と言っても海抜は市街中心地よりかなり高い)にその先は東に開けた牧草地が何処までも続いています。この雑木林には数頭の小鹿が生息しています。また公園からの傾斜地(ここは公園外で芝生になっている。この芝の傾斜地が我が家の西側まで続いている)には公園の森からピーターラビット(薄茶のウサギ)が出てきて草を食んでいます。私の棲家はこんな環境の中にあります。少し正確に言うと、公園裏から降りてくる傾斜地と雑木林の間、墓地を北端とし家畜取引所を南端とする低地部分を開拓して出来た宅地(一帯はStanden Parkと呼ばれていますが公園ではなく地名)の中です。街外れの寂しい風景がご想像できるでしょうか?
 街の中心部からウィリアムズパークの北端、更に墓地の南端を抜けて真東に向け道路が走っています。この道路を墓地の中間点で右折(南)する小道が我が家へのアクセス道路です。この道にはバンプと呼ばれるこぶ(凸)が道路に設けられ、時速10マイルで走らなければなりません。洒落たアパート(半円形で広場がある)など数棟のフラットと二戸一棟のタウンハウス、一戸建てもあります。道は直線ではなく適度に曲がり、分岐していきます。そして最後の通りが、The Colonnade(コロネード通り)と言う私の住む通りになります(宅地全体の南東端)。ここには南北に二棟の三階建てのフラットが並び、各棟は三つの階段を持ち、その左右に部屋があります。つまり2×3×3×2=36世帯が住むことになります(実際はフルには埋まっていない)。
 私の住まいは南棟の真ん中の階段から入り二階になります。一階の階段入り口にもドアーがありここも鍵がかけられているのでセキュリティーは確りしています。部屋の構成は、二つのベッドルーム(と言っても一部屋は折りたたみ式ソファ-ベッドで、小ぶりの勉強机が置いてあり書斎と言う感じです。メインにはトイレと洗面、シャワーが付いています)が西側に、東側にバスルーム(トイレ、バスタブ、洗面)とリビング・ダイニング・キッチンが一つになった部屋があります。この部屋は東向きで二つの大きなフランス窓(床面まで届く窓)があり、雑木林の緑が目の前に広がっています。雑木林の白樺が高いので、その先に開ける牧草地を展望できないのが残念です。フラットと雑木林の間は専用駐車場と道路ですが道路はフラットの南端に木の柵が設けられ、人馬の往来しか出来ません(ここを乗馬のルートにしている若い女性がいる)。建物は築7年、外装は新興住宅スタンダードの“一見ライムストーン風”プレファブ壁。内装も新建材多用の安普請です。どうも家主(Land・Loadと言う)は全フラットを所有しているのではなく、幾つかの部屋を所有し不動産屋経由で賃貸しているようです(正確にはRoom Loadですね)。私の場合フルファーニッシュ(家具・電気ガス器具・寝具・炊事道具などの生活必需品完備)が条件で探し、ここになりましたが部屋によっては家具等持ち込んでいるところもあります。仲介の不動産屋も複数関わっています。
 交通手段はちょっと問題があります。小型バスが走っていますが平日一時間に一本、バスセンター最終が5時半、日曜はなしです。多くの人は自家用車で動いていますが、車の無い人はタクシーをよく利用しています。中心地まで4ポンド(約1,000円)かかります。そんな訳で、家からセンターへ出る時は例の柵の横から家畜取引所に向かいそこからウィリアムズパークの外縁にそって西門(帰りはここでバスを降りる)までの緩やかな昇りを歩き、そこから坂を下って市街に出ます。ただ、帰りは荷物もあるし、かなり昇り坂が続くので時間を調整してバスで帰ることがほとんどです。この経路は先にご紹介した、住宅地循環で地元の人々の生活に直に触れることの出来る良い機会なのです。
 最後に賃貸料です。ユーティリティ(水道・ガス・電気・電話)は別で月600ポンド(約15万円)強です。フルファーニッシュでなければ、500ポンドと言うところでしょう。B&Bの程度の良い所(四つ星)は一泊70ポンド位とります。一ヶ月2100ポンドにもなるわけですからこの600ポンドは決して高くはありません。冒頭ご紹介した若夫婦が手に入れた家は、内装こそきれいでしたがテラスハウスの中古でした。昨年購入し月400ポンド弱のローン返済と言うのも私の体験から納得できる数字です。

<Building New Life >
 偶々TVのチャネルを回していたら、港の片隅に打ち捨てられたように係留された古いバージ(平底船)を前に二人の男が話していました。どうも話の内容が、この船を棲家にする計画を検討しているようなのでしばらく観ていると、一人は番組の進行役、もう一人はこの計画を実現しようとしている引退近い電気技師であることが分かってきました。「本当に船を終の棲家にするんですか?」「船で暮らすのが夢だったんだ」要領よく生きることが苦手、と言う感じのおじさんが答えました。『でもこんな酷い状態の船をどやって?』、『予算は?』、『何時までに?』。これが<Building New Life >の共通課題なのです。
 この番組は民放で放映しているもので、住宅建設協会のような組織がスポンサーになっています。この協会の地域支部(4つの国;イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)に応募してそこで候補を選抜、前出のような“自宅建設プロジェクト”をその計画段階から完成まで追いかけるような構成になっています。木曜日の8時から1時間、全工期は1年近くに及ぶプロジェクトを追跡し最終取材は見ている月になることもあります。
 先ず大前提は、新設はダメ。古い、廃屋のようなものを再生することが条件です。また、Do it yourself(家族を含む)が条件になります(一部専門家の手伝いが許されていますがその条件はよくわかりません)。予算、工期もなにやら条件があるようです。期日や資金に関してはよく番組の中で、進行役が質問しています。そして、条件・課題をクリアーし家が完成すると10万ポンド(2500万円)が賞金としてもらえるのです。しかし、今まで観たところ期日に完成できた例はありませんでした。参加者は種々雑多、若い夫婦もいれば、同性二人、子持ちの家族、先週は孫のいるお婆さんでした(このお婆さんが瓦用の平たい石を上げるシーンはハラハラしました)。
 何と言っても凄いのは、スタートする家(元家だった跡)です。家の元々の造りは石、木造はありません。日本人だったら更地にして建てた方が良いと思うくらい酷い家です。屋根は落ち、石やレンガも崩れ落ちた廃屋や冒頭紹介したスクラップとしか思えない船などが対象です。第二にビックリするのは、都会は全く出てきません(先の船はチョッと事情が違い、テームズ川の係留場でしたが)。近隣に全く家が無い野中の一軒家がよく登場します。荒野の廃屋を前に応募者が完成像を語るところから番組は始まります。予算や完成時期もこの時話題になります。
 時期は2月、「5万ポンドかけてクリスマスはこの家で過ごしたい」こんな出だしです。休日、小型のパワーシャベルがトラックで運ばれてきます。さすがにこの機械の操作は専門家がやりますが、これを廃屋の中に入れ、中の瓦礫を片付けるところから作業が始まります。外に運び出した瓦礫を整理し、使える物をより分けるのは家族総動員(と言っても夫婦と子供だけ)。不足の石を購入し、足場を組んで外壁、隔壁や暖炉に石を積んできます。これも家族で役割分担です。石積みが終わると今度は床のセメント打ち、そして外廻りのハイライト、屋根葺き。加工された屋根の骨材(これは材木)が工場から運ばれてきます。これを地上で組み上げ外壁の上に上げ、そこに組み付ける作業はさすがに家族だけでは出来ません。親戚・友人と思しき人達が手伝いに来ます。屋根の骨格を作るだけでその日は終わり。悪天候続きでスケジュールが狂ったり、風や雨で折角途中まで仕上がっていた所が壊れたり、発注した資材が現場合わせで不都合を生じたり、予定がだんだん狂ってきます。進行役が「予定通りに行ってないようだが?」「クリスマスまで未だ未だあるさ」と。しかし、TVを観ているほうも「無理じゃないかな?」と言うような状況。夏休みはキャンピングカーを現場近くに牽引してきて、家族全員合宿で毎日家造り。子供たちは大はしゃぎ。窓枠の取り付け、床張りなど少しずつ形を整えていきます。9月、10月、進んではいるが細かい仕事が増えてくる。まだまだ住める状態ではない。「資金はどうなの?」「実は5万ポンドは使い切り。既に2万ポンドオーバーしているんだ」、と夫婦の表情が暗い。「この先の資金繰りは?」「………」11月、配線・配管工事、バスやトイレの取り付けが始まるが工事資材がそこら中に散らかっている状態。屋根裏など丸見えのまま。クリスマスまでの完成は到底望めないこと必定。「クリスマスをここで過ごすのは無理だね?」「やれるところまでやるさ」クリスマス当日夕方、進行役が暗い中を現場に向かいます。窓に明かりが!中に入ると、一応完成したダイニングで家族が蝋燭の下で楽しげに夕食を食べています。「メリー・クリスマス!他の部屋も見せてくれるかい?」。残念ながら他の部屋は未完成。結局全てが整い家族が引っ越したのは2月でした。外は年代を感じさせる石造り、中は簡素だが落ち着きのある素晴らしい家が完成していました。
 この一年をかけた再生プロセスを1時間にダイジェストして番組にしています。これが(多分)毎週放映されるのですから、似たようなプロジェクトが複数(単純計算で一年50プロジェクト)走っている訳です。廃屋(あるいは廃屋同然の)の再生にこれだけ情熱、労力、資金を傾ける人達がいる(TVに出ない人が10倍や20倍はいるでしょう)ことに、英国人・英国文化の特質を強く感じさせてくれる番組です。それは、①古いものに対する愛着・敬意と②田園・自然との共棲渇望です。産業革命を真っ先に成し遂げた国に、このような生き方を実現しようとする人達が居ることは、ポスト工業化社会の在り方に一石を投ずる、と言うのは穿ち過ぎでしょうか?

 バージ改造ハウスのその後
 充分広さがある平底船だけに立派な家が出来ました。小さな庭園まで付いています。緑あふれるテームズの上流を行く我が家に大満足です。しかし、実はこの少し前から彼等(夫婦)には別の悩みがあるのです。係留場所です。テームズ川沿いのレジャー用係留所はどこも受け入れてくれません。現在の係留場所はロンドン港の作業船の溜り場です。これからどうなることやら?良い係留場所が見つかるよう願うばかりです。

以上

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