2008年11月28日金曜日

今月の本棚-10・11月

On my book shelf-4

<今月読んだ本-10、11月>1)殿様の通信簿(磯田道史);新潮文庫
2)江戸の組織人(山本博文);新潮文庫
3)石油の支配者(浜田和幸);文春新書
4)ゴーリキー・パーク(上、下)(マーティン・C・スミス);ハヤカワ文庫
5)私家版・ユダヤ文化論(内田樹);文春新書
6)強欲資本主義 ウォール街の自爆(神谷秀樹);文春新書
7)幕臣たちと技術立国(佐々木譲);集英社新書


<愚評昧説>
1)殿様の通信簿
;この本の種本は「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」と言う元禄時代に書かれた「秘密諜報」で、公儀隠密が諸大名の内情を調査したものを幕府高官がまとめたもの。当時の大名243人の人物評が乗っているとのことである。
 ここで取り上げられているのは、徳川光圀(水戸黄門)、浅野内匠頭と大石内蔵助、70人の子供がいた池田綱政などだが、これ以外には前田利家とその子利長・利常に相当の紙数を割いている。この理由は家康が前田家(信長の下では同格だった)を恐れ、死に際して利常本人を前に「お前を殺したかった」と語った背景を解説し、そんな中で前田家が生き残っていくプロセスを明らかにするためである。利常は家康の孫を娶っているが、それに付いてきた乳母が隠密役をはたしていたようだ。この前田家の話は前記の資料だけで無く別の資料も使っているものと推察する。
 これら有名人が、のちに巷間語り継がれる(例えば忠臣蔵)俗説とは異なる評価が行われている点を掘り下げ、筆者の考えを加えているところがこの本の肝と言える。歴史学者が書いた本なのでキワモノ的な嫌味が無い。それにしても面白い材料を探し出したものである。
2)江戸の組織人;江戸幕府は中央官僚組織である。諸藩はある程度の自治を許された地方自治組織である。それぞれの人材登用は如何にあったか?どんなポストがあり、いかなる職権をもっていたか?人材育成は?中央と地方の関係は?意外と目にしないテーマである。形式的には将軍が最終意思決定者であるが、実権は複数の老中にある。現在の大臣と事務次官の関係はこの時代から続いている。家柄によってスタートや到達できるポストが違ってくる(それでも現在よりは抜擢人事もあるが)。つまりキャリアとノンキャリの違いも厳然として存在する。エリート・コースの最右翼は、旗本の「両番家筋;将軍身辺警護;書院番と小姓組番」次いで「大番家筋;徳川家軍事組織の中核」である。番士としてスタートし組頭、番頭やがて若年寄や老中に昇格していく。これは旗本の例だが、譜代大名とその家臣、外様大名と家臣にも就ける役職と昇進ルートがあり、トップは旗本同様老中まで登れた。
 官職で実権のあるのは、町奉行や勘定奉行などの奉行職で、江戸町奉行(東西二人いる)など現在の複数の役所の事務次官兼務とも言える。一方で遠国奉行(直轄地の大名に相当)は場所によって仕事の難易度や実入りが大きく違ってくる。長崎奉行は唯一の外国貿易を行うこともあり席次が高かく仕事のやり甲斐もあったようだが、末席の佐渡奉行は離島での金山経営で苦労が多い、その力量で金の生産量が変わることもあったとか。
 出世のための猟官活動・競争者の追い落とし、贈収賄、利権とピンはね、現在の官僚組織が抱える暗部もこの時代から確り引き継がれている。鬼平犯科帳の主人公、長谷川平蔵は家柄(両番家筋)もよく、仕事も出来町奉行まで出世してもおかしくなかったが火付盗賊改で引退している。この理由は、仕事熱心で庶民の人気が高く、それを幕閣が妬んで出世を阻んだと言う。現在の官僚組織にも有りそうな話である。
 先の“殿様の通信簿”同様歴史学者によるものだが、堅い話を分かりやすく、面白く書いており、私のように日ごろ日本史関係(時代物小説を含む)の書物を読まない者にも興味深く読める本である。
3)石油の支配者;原油の値段は現在(11月22日)バーレル50ドルを切るところまで落ちてきたが、一時は140ドル台まで暴騰した。石油会社で働いた者としても「いくらなんでも!」と思った。原油に関しては限界説と需給バランス論があるものの、他の鉱物資源や農産物も急騰し、投機筋の資金が大量に流れたと言う説が有力になってきた。
 この本は時流に乗って書かれた本ともいえるが、原油生産・市場と投機筋や産油国の政策・戦略を丹念に追って、この異常な原油価格の実態を解明しようとしている。
 先ず需給のバランスについて言えば、新興国、特に中国・インドの現在および将来の消費急増がある一方、生産は大油田の発見はなく中長期的に供給がタイトになる。しかし、本当に原油の生産は増えないのか?原油生産限界説は1949年アメリカのハバート博士が唱え(生産のピークは1970年頃と)、その後環境変化による修正はあるものの、基本的にその説がいまだに主流である。これがピークオイル説(あるいは石油有限説)である。しかし、この説は回収しやすく、精製もしやすいライト・スウィート原油をベースにしたもので、オイルシェールや半固形原油、高硫黄原油などを含んでいない。これらを含めると限界説の3~4倍の原油埋蔵量があるとする見方もある。さらにこの限界説に対して1951年、旧ソ連のポルフィエフ博士が発表した「石油無機説;新たな原油が地中深くじわじわと生成されている」がある。これは一旦枯渇し閉鎖した多くの油田で、数十年後原油生産が可能になったことに基づいている。掘削技術では世界に抜きん出た力を持つロシアからの主張だけに一考すべき視点である。
 つまり現在の原油価格は需給バランスではなく、ピーク説を政治的に利用する勢力と投機筋の思惑が一致して出来上がった奇形の価格体系だというのが筆者の見方である。ダイヤモンドの資源としての価値は1カラット30ドルが良いところだが、業界最大手のデビアスの創設者、アーネスト・オッペンハイマーは80年前「ダイヤモンドを高く売るには、ダイヤの原石自体が極めて希少なものであり、そこから得られる高品質のダイヤは更に得られる量が少ないと言う幻想を与えることが大切だ」と語り、何百倍にもなる現在の高価格体系を作り上げることになった。産油国や国際石油企業がやろうとしていることはこれと同じことではないか?事実国際石油資本の外で原油を調達する国(イラン)はこの原油高の中でバーレル20ドルの原油をサウジから購入しているし、アフリカに権益を広げる中国も安い原油を求めて着々と手を打っている。
 わが国は如何にすべきか?
4)ゴーリキー・パーク;スパイ・軍事ミステリーは第二次世界大戦中か冷戦時代に尽きる。中でも冷戦時代の西側スパイとKGBの戦いは、ジョン・ル・カレの「寒い国から返ってきたスパイ」からトム・クランシーの「クレムリンの枢機卿」まで十数編読んできた。しかし、それはソ連と言う国を訪れたことも無く、知人もいない時代であった。2003年に仕事でロシアに行き、その後2005年まで8回出かけている。彼の地の気候風土や人々の日々の暮らしを見聞することでミステリーの面白さがどうかわるか?そんな興味から手にした本である。
 オリジナルが書かれたのは1981年(日本語訳は1982年)、未だ冷戦末期ではあるが雪解けの兆候は無い。書いたのはアメリカ人。スパイ小説では世界で抜きん出た実績を持つ、英国推理作家協会の選ぶその年の長編小説に与えられるゴールド・ダガー賞(賞金20,000ポンド)を受賞している。
KGBも重要な役割を占めるが主人公は検察局組織下の人民警察の刑事、捜査中はむしろKGBと縄張りを争う場面が付きまとう。事件は厳冬モスクワのゴーリキー・パークの雪ノ下から発見される3人の凍結死体から始まる。皆顔を削がれ、指先を切断されている。無論アメリカ人が絡む。第二次世界戦時中対ソ支援物資輸送を管理するためにレニングラードに駐在し、今は対ソ貿易に特権を持つ貿易商。それにモスクワ大学に留学中行方の分からなくなった弟を探すニューヨーク市警の警部。重要な役割を果たすのはクロテンである。
 捜査はほとんどモスクワ市内、出てくる地名や建物にもなじみがある。ルビヤンカにはKGB本部があり赤の広場への地下鉄はここで乗り降りした。ルビヤンカ駅から赤の広場に観光に出かける途上警官に呼び止められ、パスポートチェックを受けた時、一番頻繁にロシア出張をしている若い営業マンのパスポートに添付された国内ヴィザ(ホテル経由でKGB発行する)に不備があり金を巻き上げられるのを目にし、一瞬スパイ小説の世界に引きずり込まれた。主人公がKGBから入手した盗聴テープを分析するために利用するウクライナホテルは、市内を移動中その特異なスターリン様式の建物を何度も目にしている。モスクワ川を見下ろす丘に一際目立つモスクワ大学にも何度か出かけた。アメリカ大使館しかりである。KGBのオフィサーがどんな優れた人材かも横河ロシアの同僚からも聞かされた。後半の舞台はニューヨークに移る。それもスタテン島(自由の女神の先のニュージャージーに隣接する島;ニューヨークの一つの区)とニュージャージー北東部。この辺も私にとって土地勘のあるところである。             
 ル・カレの重厚さやトム・クランシーの展開スピードに比べやや物足りなさを感じたものの、そこに居るような臨場感は十分楽しめた。
5)私家版・ユダヤ文化論(2007年度小林秀雄賞受賞);世界人口に占めるユダヤ人は0.2%に過ぎない。しかし自然科学分野(医学・生理学、物理学、化学)のノーベル賞受賞者はそれぞれ48名(182名中;26%)、44名(178名中;25%)、26名(147名中;18%)の高率である。優れたクラシック音楽の演奏家、数学者も多数輩出している。フロイトもマルクスもチャップリンもユダヤ人である。2000年以上も前に祖国を失い世界に散らばりながら、あらゆる分野で人材を輩出するユダヤ人。この間何度も起こる反ユダヤ運動を耐え祖国復興を果たすユダヤ人。この世界に類稀な人種・民族共通の文化はいったい何なのか?無論一部の人間が一時期唱えたような解剖学的な差異など存在しない。この問題におそらくこれと最も縁のない日本人の学者が挑戦し、私見を整理したと言う意味でわざわざ“私家版”と名づけたのが本書である。
 日本人がユダヤ人の存在を知るのは文明開化後である。それ以来日本人のユダヤ人観は概ね西洋文明の影響を受けてきたと言って良い。自らの記憶に残る最初のユダヤ人は、「ヴェニスの商人」のシャイロック;阿漕な守銭奴である。この日本人のユダヤ人観を大きく変えた(?)のが40年近く前に出版されたイザヤ・ペンダサンの「日本人とユダヤ人」である。最初の章は「安全と自由と水のコスト」で、これで日本が特殊な国であることを認識させられた日本人は多い。そして今回の“私家版”はそれ以来の新たなユダヤ文化論ではなかろうか。
 筆者はユダヤ人の知性(ユダヤ的知性)の特異性を、ユダヤ教(必ずしも現在ユダヤ教徒でなくても生活の中に固着したユダヤ教的なもの)と他の宗教(特にキリスト教)の違いに求めている。この部分は大変分かりにくいが「ユダヤ人は生まれてくる前に犯した罪深い行為に対して有責意識を持っている」と言う恩師(ユダヤ人)の言葉で説明している。これはキリスト教でいう原罪とは全く別で、時間軸を過去(生まれる以前に逆行する)に向かって進め「神」を導出する思考法で、この有責性(困難な課題を背負い込み、それに耐え、その解決を図るのが自らの使命)が独特の強い思考能力を生み出す力の基になっているのではないか、としている。(筆者も分かりにくい説明とことわっているが、それがユダヤ的思考法に則った語り方だともいっている)。いずれにしてもこの思考法(結果としてタフで優れた結果を出す)は他民族に体得出来るものでなく、それ故それを羨み、願望することが反ユダヤ主義を生み出すことになる。“可愛さ余って憎さ百倍”である。
 この本に出てくる反ユダヤ主義について、気になる話を紹介してこの評を終わりたい。イランのイスラム革命やベルリンの壁崩壊を予言した未来学者、ローレンス・トープは、21世紀中頃に「北米における反ユダヤ主義の激化」を予言している。
6)強欲資本主義 ウォール街の自爆;これも一見サブプライム問題に発した経済の混乱につけこんだキワモノ本にみえる。しかし、ウォール街でビジネスをしている現役の日本人投資銀行家(住友銀行を経てゴードマン・サックス、今は自分のこじんまりした投資銀行;法人向け投資顧問と言う方が相応しいのかもしれない)が書いた確りした中期経済分析である。あの街で詐欺もどき、ヒトの金で博打を打って荒稼ぎしているワルを、実名でバンバン登場させ、そのからくり(今日の儲けは私のもの、明日の損はあなたのもの)を明らかにしてくれる。
 根源は自由放任をあたかも公平な競争のごとく喧伝し、売上げ至上主義をはびこらせる金融政策を推し進めたレーガン政権にあるらしい。この政権下でのプラザ合意と前川レポート(内需拡大策)がやがてわが国のバブルを生み、その崩壊に付け込んで不動産(ゴルフ場を含む)を二束三文で買い叩き、税金をつぎ込むことになる倒産銀行再生でさらに儲け(わが国大蔵省は再上場の利益を無税にさせられた)、アメリカの禿鷹投資ファンドを増長させてきた。この風潮が、ヒルズ族、ホリエモンや村上ファンドを生み、新しい時代の寵児としたのは我々の責任かもしれない。社会環境・自然環境が全く異なるのにアメリカンスタイルを真似し、彼の国以上の損害を蒙ってしまう。
 アメリカの浪費経済(借りて買って、それから返す;生産を軽視し、金融のように一攫千金が可能なビジネスを高く評価する)に世界(EUも、中国も、日本も)が過度に依存した経済はこの先長続きしない、と言うのが筆者の見立てである。当然それに伴って日米安保体制の見直しも必要になる。
 世界はそしてわが国はどうすればいいのか?“縮小均衡しかない!”地道にものづくりに励もうそれもアメリカ頼みでない。これが筆者の答えである。しばらくは暗い時代を覚悟しなければならない。
7)幕臣たちと技術立国;歴史の見方は時代環境によって随分異なるものである。身近に生じた太平洋戦争(わが国では当時は大東亜戦争と言った)でさえ、客観的な記述は難しい。日本人、中国人、韓国人そしてアメリカ人それぞれの立場で“これが正史”を主張する。否、国内にも種々な見方があり、一部知識人・マスコミの左翼史観が、あたかも中庸であるような風潮をすっかり定着させ、“少し違うんじゃないか?と感じているのは私だけではないだろう。黒の中にも白があり、白の中にも黒があるのが現実である。
 さて維新である。私を含む大方の日本人にとって、明治維新によって長い暗黒の夜が明け輝かしい近代日本が始まったと言うのがマクロ日本近世史観ではなかろうか。そこでは勤皇革新は善、幕府守旧は悪と思い込ませるような教育・啓蒙活動が連綿と続いてきたように思われる。自らの技術者としての歴史認識も、鉄道・造船・製鉄・兵器・通信など明治になって体系的な情報収集・学習が始まり、今日の近代工業国家に発展してきたといつの間にか信じるようになってしまった。無論維新に100年も先立つ杉田玄白の「蘭学事始」の話などは中学生時代感銘を受けているのではあるが、極めて特殊な近代科学習得の例と捉えている。
 本書の主人公は、徳川幕府下の技術官僚とも言える3人の武士である。最初に紹介されるのは韮山の反射炉で有名な江川英龍(太郎左衛門)。2番目が浦賀奉行所に勤務し海防技術や造船技術の重要性に早くから着目し、やがてペルリ来航で奔走することになる、中島三郎助。第三の男が、造船技術、操艦技術を学ぶためオランダに留学、彼の地で建造した大型艦開陽丸を日本に回航し、箱館(函館)戦争で官軍に敗れる榎本武揚である。
 これらの人物は個人的な資質もあったろうが、それなりに役職の上で必要な技術を手近なところから学び始め、やがて幕府の種々の技術者養成システムを通じて更に高度な技術を習得している。一部の幕府高官の中には攘夷を唱え、西洋科学(その成果としての新しい軍事技術)の導入に反対する者もあるものの、清国の二の舞(アヘン戦争)を避けるために彼らを積極的に支援していこうとする勢力が次第に主流になってくる。新しい時代環境に改革しようという息吹きは、守旧一辺倒とみられがちな幕府方にも確りと存在していたのである。このような旧体制時代の備えがあったからこそ、維新後の近代化がスムーズに進んだと見るのが筆者の目である。特に、逆賊として極刑を受けてもおかしくない武揚を救った黒田清隆とその後の武揚の技術官僚・外交官としての活躍を見るとそのことが説得力を持ってくる。
 初期の、日本人離れした筆者の冒険小説;「エトロフ発緊急電」、「ベルリン飛行指令」などに惹かれふと手にした本書は、一見小説作成ノートのような書き振りが、ノンフィクションのような印象を与えるが、筆者の各人物に対する思い入れが確り込められた優れたオムニバス短編小説と言ってもいい。

0 件のコメント: