2010年1月10日日曜日

決断科学ノート-25(決断の要点-2;軍事作戦)

 企業経営の場合、判断基準が利益、売上、シェアーを決め手とするのに対して、軍事作戦の場合、なんといっても“勝敗”が決め手である。ただ、近代の国運をかけた戦争の場合、一度の会戦で全てが決まるわけではない。総力戦では直接的な戦闘力に加えて、戦争資源やロジスティック(補給力)が戦いの趨勢を決する。従ってこの“勝敗”の評価ポイントをどこに置くかによって判断は変わってくる。
 軍事作戦における決断の特徴は、状況変化が早いことである。計画通りいかないのは常なので、断を下すタイミングがきわめて重要になる。拙速・独断専行、柔軟性とスピードがもう一つのカギとなる。
 この評価ポイントとタイミングは決断者の立場によっても変わる。軍人ならばやはり時間的に短期の戦闘そのものにウェートが置かれるし、政治家なら個々の戦闘より長期的視点からの、財源や国民生活あるいは外交関係ということになる。
 純然たる軍事作戦は軍人が、国家戦略は政治家が決めるというのがバランスのとれた役割分担であろう。大局を見なければいけない人間が最前線の小事に惑わされたり、戦闘に集中しなければならない兵士が後方を慮るようではいけない。軍人が政治家になってしまった日本、政治家が軍事作戦を指導したドイツはこの点で、作戦目的や勝敗の判断基準があいまいになってしまった。
 1941年6月22日ドイツはソ連に攻め込んだ。バルバロッサ作戦、北方・中央・南方三軍集団、兵力は約300万人。北方軍集団はレニングラード、中央軍集団は一気にモスクワを目指したが、激しい抵抗に遭うと8月中旬ヒトラーはこの中央軍集団から第2装甲集団をキエフ占領のため南方軍集団に転用する。当初の計画には無かったことである。これには成功するが、それだけモスクワへの進軍が遅れ、その間に防御が固められていた。12月冬将軍の到来、モスクワを眼前にしながらその攻略作戦は中止される。
 ウクライナ、さらにはその先カフカスの油田地帯を抑える役割を持つ南方軍集団に装甲軍集団が割かれた時、装甲軍生みの親、グーデリアンはヒトラーに異を唱え解任される。反対したのはグーデリアンだけではなかった。この判断で国防軍首脳の一部とヒトラーの間に修復できぬ亀裂が生じた。軍人たちは首都陥落こそ勝利と考えていたからだ。

 ヒトラーの、このモスクワ攻略の変心、その1年前英仏連合軍をダンケルクに追い詰めながら、最後の殲滅戦を躊躇したことは現在でも史家の関心を惹き続けているが、一人の人間が、政治家・軍人の二役を兼ねたところに判断の混乱があったとしか考えられない。軍人ならば、ダンケルクで一呼吸おかずに一気に英仏海峡まで攻め落し連合軍の反攻の余力を絶っていたに違いないし、モスクワ陥落で侵攻作戦に一区切りつけていたであろう。一方政治家ならば、最後まで追い詰めず英仏と休戦の余地を残そうと思うだろうし、戦争継続のためにカフカスの石油を優先する考えも分からぬではない。
 “勝敗”という一見分かり易い判断基準も、一段上・数段上の視点ではまるで変わるところが軍事作戦決断の難しいところである。資源・兵力(兵器を含む)の配分問題もどのレベルで評価するかによって解は異なるということである。
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