2010年8月5日木曜日

今月の本棚-23(2010年7月)

<今月読んだ本(7月)>1)日本人へ 国家と歴史篇(塩野七生);文芸春秋社(新書)
2)スプートニクの落とし子たち(今野浩);毎日新聞社
3)銃・病原菌・鉄(上・下)(ジャレッド・ダイアモンド);草思社
4)ドゴールのいるフランス(山口昌子);河出書房新社
5)指揮官の決断(早坂隆);文芸春秋社(新書)
6)ランチェスター思考Ⅱ(福田秀人);東洋経済新報社

<愚評昧説>
1)日本人へ 国家と歴史篇
 国内外の政治情勢を、ローマ史をなぞりながら語る、前月紹介した文藝春秋(月刊)連載エッセイの続編。時期が2006年10月号~本年4月号なので、小泉以降、そして民主党への政権交代になるので、亡国への憂慮は更に強まる。
 “安部首相擁護論”や“拝啓小沢一郎様”では指導者の交代の激しさや連立の脆さから、首尾一貫した改革の推進が行えないことを憂いているが、その後の政局をみるとほぼそれが当たっている。ローマ史でも指導者がくるくる変わるとき、衰亡が始まるのである。これは「優れた人材がいないのではなく、それを使いこなすメカニズムが機能しなくなっているのだ」という見方に基づく。うかつな増税発言→頻繁に行われる世論調査→参議院選挙における民主党大敗、をみると国民の側に問題無しとは言えない気がしてくる。
 後世世界は日本をどう見るか?「持てる力を活かせないうちに衰えたしまった民族」と評価するのではないかとする見立てが、当たらないことを願って止まない。

2)スプートニクの落とし子たち なんどか本欄に登場した著者による、自伝的エンジニア小説である。今までのものが一つを除いて(“すべて僕に任せてください”)、著者の専門領域(応用数理)の解説や動向を小説の形を借りて、興味を惹きつけ分かり易く語ってきたのに対し、本書はより“時代と人”に焦点を当てている。それだけに“小説としての面白味”ははるかに一般受けする。読み始めたら一日で一気に読んでしまった。
 1957年10月、初の人工衛星スプートニクが打ち上げられた。戦後復興から高度成長が始まる時期。“これからは理系の時代だ”との風潮が一気に高まる。そんな時代、1959年の大学進学者、本来は文系に進み、もっとましな人生を送れたかも知れぬ、エンジニアたちの悲哀と自負がテーマである。それもただのエンジニアではない。東大理一(主に工学・理学系へ進むコース)の中の超成績優秀者たちが辿った道である。
 主人公は無論著者自身だが、それ以上に重要な役を演じるのは、製鉄会社に入り、順調に活躍の場を与えられ、米国の経営大学院(MBA)へも派遣される友人である。彼の目指すものは経営トップ。しかしながら、歴史ある製鉄会社でエンジニア出身者が社長なったことはない。ガラス天井を知った彼は外資系銀行に転じ、一時は一生かかっても使いきれぬほどの資産を築く。それでも真のトップは米国に居る。満たされぬ思いが、その生き方を更に変えていく。
 著者と私は大学卒業年度で1年違い、当時の時代感覚は全く同じと言っていい。大学同級生に、文系を目指していたが、“あの人口衛星”で理科に転じた者が少なくとも二人居た。同級生で集まるとき「もう一度やり直すなら文系だな」と言う意見は意外に多い。躍進する韓国や台湾企業で日本人エンジニアOBが、現役時代満たされなかった思いを胸に、大勢活躍しているとも聞く。著者は(そして私も)エンジニアとしてやってきたことを悔いているわけではないが、この国は、理系人間に冷たいと訴えるこの小説は、そこにしか頼るものの無い、わが国の将来に対する警鐘とも言える。

3)銃・病原菌・鉄
 1998年度ピューリツァー賞受賞の少し古い本(日本語訳は2000年10月発刊)なのだが、朝日新聞で“2000年から10年間の50冊”に選ばれたので、売れている。「世界は何故今のようになったか(差がついたか)?」がテーマの人類史である。
 ナチスドイツのアーリア民族優性論はともかく、ここ数世紀は白人(特にキリスト教徒)が近代文明をリードしてきたことから、白人の優性論や進化論を基盤とする人類史がまかり通ってきた。本書は、著名な米国の歴史学者が「逆転の人類史」と呼んだように、この考え方に挑戦する、長期的な大陸形成の地理学的視点から捉えたユニークな人類発展史である。結論は、ユーラシア大陸は東西に長く、アフリカ、アメリカは南北に長い。オーストラリアは孤立している。ここからくる諸々の因子によって、現在に至る多様な発展をしたということである。そこには人種・民族に因る優性論は全く無い。
 筆者はUCLAの地理学教授だが、医学部に所属し博士号は生理学(分子生理学、進化生物学)、ニューギニアを中心に長年フィールドワークにも従事しているので、人類史と言う極めて幅の広い分野を研究するバックグランドを持っている。
 身近な食物の採集から始まり、やがて農耕・牧畜(その日暮らしで無くなる)、そこからの余力が専門職を生み道具の発達や統治組織を可能にする。統治の為には文字も必要になる。長い家畜との共存は病原菌に対する免疫度を上げていく。古アフリカ大陸に発した人類が、それぞれの大陸・島嶼に拡散し独自の発展過程を辿る13000年を自然環境、種子の伝播や動物の習性、技術移転、集団の行動特性などあらゆる角度から考察し、今日の世界が出来上がっていく様子を、自論に則って論じていく。この論が学問的にどの程度受け入れられているかは不明だが、学校で習った世界史や人文地理とははるかに違った視点で世界を見渡せるようになったのは確かである。

4)ドゴールのいるフランス
 フランスがドイツの電撃戦に敗れた後、ドゴールの亡命政府が無かったら、その政府を英米に認知させていなかったら、フランスははたして戦勝国の一員として安全保障理事会の常任理事国になっていただろうか?戦後の小党分裂の中で、ドゴールが1958年アルジェリア戦争解決のために再起しなければフランスはどうなっていただろうか?近代のフランスの危機に不可欠であったリーダー、ドゴールを日本人の目で見た評伝である。
 著者はフランス政府給付留学生で滞仏ののち産経新聞に入社、現在パリ支局長で既に彼の地に20年滞在した人である。長年の滞在経験と豊富な人脈から、フランスと言う国の特質、なかんずくその外交政策をクールに分析し、ドゴールの存在意義・言動の背景を明らかにしていく。
 「フランスが本当におのれ自身であるのは、それが第一級の地位を占めているときだけである」「フランスは偉大さなくしてフランスたりえない」という強烈な自負からくるリーダーシップは、ときにチャーチルやローズヴェルトから煙たがられ、戦後は米国人から「恩義を忘れた高慢な奴」と嫌悪感をもって語られ、ややもすると日本人もこの米国から見たドゴール感に影響されてきている、と著者は見ている。しかし、アルジェリア戦争の解決やキューバ危機に見せる彼の言動を、少し掘り下げてみると、決して頑迷な愛国主義者ではないことがよくわかる。
 昨今のわが国の混迷する政治を見るにつけ、有事の際にこんな人材を生み出し、国の威信を回復・維持できたフランスを羨ましいと思う。

5)指揮官の決断
 昭和の帝国陸海軍について、随分いろんな本を読んできたが、この人(樋口季一郎中将)の名前には記憶が無い。最終は第五方面軍(北海道、樺太、千島、アッツ・キスカ)司令官である。中央幼年学校・陸士では石原莞爾が同期、陸軍大学校では石原のほか2年遅れた阿南惟幾が同期である。兵科は歩兵だが、情報畑が専門で参謀本部第2(情報)部長の職位にもついている。
 この本でクローズアップされるのは、ハルビン特務機関長時代のユダヤ人救出とキスカ島からの撤退作戦である。前者は第二次世界大戦勃発前、ソ連経由で満洲との国境まで逃げてきたユダヤ人を、満州国外交部と協力、関東軍を説得して多数受け入れ、他国への逃避行に道をつけたことである。日本人によるユダヤ人救済では、リトアニア領事杉原千畝が有名だが、それに先立つ2年前に樋口による満州国への受け入れが実現していたのである。ロシア語専門で、シベリア出兵時代にはハバロフスク特務機関長も務めた彼を、戦後ソ連は執拗に拘束しようとするが、アメリカに本部を置くユダヤ人協会が強烈な反対運動をして難を免れる。
 キスカ島からの撤収は、負け戦の中の見事な作戦として映画にもなった。しかし、これにはアッツ島玉砕という悲劇とセットになる。樋口が北部軍(のちの第五方面軍)司令官として赴任して以来、両島守備強化の要請をたびたびしているのだが、他戦域との優先度から大本営の了解が得られないうちに、アッツ島玉砕となってしまう。それでも何とかキスカ撤収を実現しようと、一か八かの作戦を行う。種々の幸運もあって成功するが、そこには無駄死には何としても避けたいという、この人の信念が大いに与かったとも言える。
 政略好きやギラギラした勇ましい軍人、華々しい(あるいは悲惨な)作戦ばかりではなく、ひたすら本務を尽くした軍人を取り上げることも、あの戦争を振り返るには必要なことである。

6)ランチェスター思考Ⅱ  前著、ランチェスター思考Ⅰが、ランチェスターの法則を基にわが国で開発された、ランチェスター戦略(セールス・マーケティング戦略)の入門・解説書であったのに対し、本編はアメリカ陸軍の指揮官マニュアル(FM-6.0 )をベースにした、経営戦略・戦術の教導書である。おそらくわが国では初の試みであろう。筆者が軍事(自衛隊)に深い関心を持ち、しばしばその教育に招かれるほどであることと無縁ではない。
 わが国の意思決定は政治であれ、軍事であれ、経営であれ、果敢な決断よりは合意形成に力点を置く傾向が強い。最近のように経営環境がめまぐるしく変わる時代、これではタイムリーな手が打てない。また合意形成は必ずしも論理的ではない。そこで喧伝されているのがロジカル・シンキングである。MBAはいわばそのホームグランドと言ってもいい。しかし、このロジカル・シンキングは実務推進に際して、“机上の空論”化しやすいところがある。
 米陸軍の指揮官マニュアルを援用しながら、著者が訴えようとしていることは、過度なロジカル・シンキングをあらため、経験とそれによって培われる感性で、直感的・即応的な経営判断を行おう、と言うことである。
 前作同様経営学泰斗の一言や、経営上の経験談(特に失敗談)、軍事作戦上の事例などを随所に挟み、飽きることなく最後まで読ませる。また、日ごろ忙しい経営者・管理者に読みやすい形式で記述されていることも、即戦的な経営指南書と言える。

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