2011年3月6日日曜日

決断科学ノート-60(大転換点TCSプロジェクト-3;前奏-3;業界事情)

 第一世代のプロコンは、いずれの国・いずれの業種でも程度の差こそあれ実験的な色彩を帯びていたし、道具を提供する側にもその傾向があった。そんな中でやはり製品として、ソフトも含めて確りしていたのは米国のものだった。IBM、DEC、GEなどが工場管理やプラント制御に適した機種・ソフトを提供していた。ただ、DDCの領域は若干様子が違い、PDP-8(DEC)、IBM-1800、H-20(ハネウェル)などが使われていたものの、アナログ・コントローラとの併用で、YOCICのようなプラント直結型の専用機は、大規模プラント向けに普及していなかった。
 第二世代が漠然と話題になりだした時代(‘70年代半ば)、コンピュータ業界にも変化の兆しが見られるようになって来ていた。一つはミニコンの高性能化とその普及。もう一つはマイクロプロセッサー(マイコン)の出現である。
 ミニコンの普及に関しては、OSやインターフェース技術を公開し、多くの仲間(インテグレータ)を集めていたDEC(PDP-8)が、グローバルに工場操業・自動化では圧倒的に強く、IBMはこれに対抗してシステム7やシリーズ1を発売するが、あくまでも旗艦IBM-370の手足であり、単独システムでとして競うものではなかった。ただ、わが国では米国に比べ、東芝、日立などもこの分野では強く、PDP-8の利用は限定的だった。またExxonグループでも導入実績は少なかった(ラボラトリー・オートメーションやFoxboro計器との組み合わせに限られる)。
 “変化の兆し”でより大きなものは、DDC領域におけるマイコンの利用である。集中型の良さは、アドヴァンスト制御のロジックを一つのコンピュータ内に組める点やオペレータ・コンソールとの情報授受のやり易さにあったが、“集中”故にリスク分散と拡張性に限界があることが弱点だった。また、万一に備えるアナログバックアップは経済性を低下させる。1975年ハネウェルが発表したTDC-2000は分散型ディジタル制御システム(Distributed Control System:DCS)と称し、その後のDCSの範となるものであった。これは8制御点(ループ)を一つのコントロール・ユニットで処理するもので、集中度が大幅に低下し(YODIC-600では300ループを一台でカバーする)危険分散が図られ、拡張も容易だった。しかし、一つのユニットを超えて構成されるアドヴァンスト制御には通信が絡むことになり、その点に不安・不満が残った。集中型に関する問題意識は当然横河電機も有しており、その解決策を進めて、コントロール・ユニット間の通信負荷が軽い、32ループベースのCENTUMをほぼ同時期(1975)に発売している。
 目をExxonグループに転じると、いずこも東燃と大同小異、第一世代の後継機ニーズが高まっていた。聞こえてくるのは、一つはハネウェルとの共同開発計画。TDC-2000の導入、更にはこれの大幅機能アップとSPC相当部分や通信系の独自新規開発などがそれである。もう一つびっくりするようなシステムが突然現れる(1977年頃だったと記憶する)。それはカナダのインペリアル・オイル(Exxonとカナダ資本の合弁)・ストラスコーナー製油所におけるIBM-370を使ったSPCシステムの実験である。“制御(オートメーション)”と言う点では考えも及ばない使い方である。「汎用機をプロコンとして使えるのか?!」これが第一印象であった。わが国にも全くその例が無いわけではない。それは君津、大分など新鋭製鉄所における工場管理の分野である。しかし、情報処理の桁違いに多い製鉄所ならではのシステムであった。ここでもリアルタイム制御に使われているわけではなかった。
 しばらくして、第一世代のSPC、IBM-1800 を川崎工場(オフサイト)に導入した際担当だったSGUさんと言うSEが工場に訪ねてきた。目的はこのストラトコーナーのシステムのことで、「IBMが近くこれを販売するのだが意見を聞かせてほしい」とのことだった。
 二人きりの、日常ビジネスに関係ない話。お互い率直に意見交換をした。信頼性・経済性で問題がある一方、拡張性やソフトの移行性、IBMの最新技術を常に利用できる点(リースで導入して置き換えていく)などにメリットがあることなど、このシステムの特徴がつかめてきた。
(次回:社内議論)

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