2014年1月14日火曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(25)



20.パリ
最初のパリは19706月、初めての海外出張の折、ニュージャージーのExxonエンジンニアリングに1週間滞在した後フランスExxonのポート・ジェロームにある石油化学工場を訪ねる旅だった。NYケネディ空港のパンナム専用ターミナルからB-707に乗りオルリー空港に深夜到着した(当時まだド・ゴール空港は開港していなかった)。市内のエアー・ターミナルまでは空港バスだったが、暗く人気の少ない場所に在る、柱と屋根だけの殺風景な建物の前で降ろされた。バスの同乗者は三々五々家族の車やタクシーで去っていき、同行の米国人が何とか残り一台になったタクシーにホテル行を交渉するのだが、全く英語が通じない。その時の心細い思いは今に残る。行先は、サン・ラザール駅前のホテル、今度のツアーで泊まるホテルもそこに在るのだ!もしや?
今回は陸路で昼間、ツアー仲間が一緒だし、その後数えきれないほど海外を訪れている上に、ガイドも足もある。あの時堪能できなかったパリを、大いに楽しみたい。こんな高揚感に満ちたパリ入りである。しかし、リヨン駅は期待とは違い、国際列車も発着する大陸の大きなターミナルが持つ独特の雰囲気を味わうにはいささか貧相な造りであった。「これでもTGV開通に合わせて綺麗になったんですが、在来線は依然お粗末なままです」 これが添乗員OSNさんの駅舎に関するコメントだった。
パリの市街部はほぼ円形、中心を“への字”を成してセ-ヌ河が東から西に流れており(への字の書き出し点の先で大きく北東に蛇行する)、頂上付近にコンコルド広場やルーヴル美術館などが点在する。長距離列車の発着駅は、他のヨーロッパの主要都市同様、路線が向かう方面によって分かれており、リヨン駅は中心部の南東に位置し、サン・ラザール駅は北西に在る。従って我々は円を右下から左上へ移動するわけだが、東京の都心ようにそれらの駅を結ぶ環状線(山手線)や貫通線(中央線)は無いので、もし鉄道で向かうとなると、地下鉄利用になる(これはモスクワやロンドンも同じ)、大きな荷物を持った、勝手の分からない外国人にはとても無理だ。ホテルのチェックイン時間には早過ぎる時刻でもあるので、専用バスで市内観光(下車なし)をしながらのプログラムが組まれている。これは団体観光ツアーとしては助かるのだが、昼食時間がどこにも配慮されておらず、空腹を抱えたままのパリ第一歩となった。
リヨン駅はセーヌの右岸に在るのでしばらくそのまま北西に向かう。ノートルダム寺院の手前で左岸にわたりそれを眺めながら進むと左側は学生街カルチェラタン。実はパリでは是非訪れてみたいところがあった(私以上に家内が)。戦前から英語圏(主として、英米加)の作家・文学者(ヘミングウェイ、ヘンリーミラーなど)がたむろした「シェイクスピア・カンパニー書店」である。この書店を舞台にした本を読んでいたので機会があればと思っていた(「今月の本棚-2420108月)」で紹介)。TGVの車内でOSNさんに在処をきいたが知らないようだった。そのOSNさんが、私を見て盛んに左手前方を指し出した。見ると緑地帯を挟んで「Shakespeare & Company」の看板があるではないか!これで空腹の不満も少し治まる。
バスはルーヴルを対岸に見て進み、その先で再び右岸に戻る。大渋滞の河沿いの道を横切り、左右(ルーブルやコンコルド広場)の名所案内を聴きながらしばし直進し左折すると、オペラ座を正面に見る大通りに出る。ロータリー状のその前を回ると、ラファイエット、プランタンなど有名百貨店が並ぶ通りで左折、2300m進むと右手にクラシカルなビルが見えてくる。OSNさんが「あそこが今夜宿泊のホテルです」と説明。微かな予感通り、やはり43年前、初めての夜を過ごしたそのホテルだった。
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(次回;パリ;つづく)

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