2014年5月10日土曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)

1;新会社創設-4SITさん追悼)

この話は会社創設の部のもう少し先に紹介するつもりだった。その主人公となるSITさんが57日急逝された。昨日開催された東燃本社OB会にも出席の返信があったほどだから誰にとっても突然の訃報だった。本日はその葬儀の日に当たる。そこで予定順序を変えて、今回はSITさん追悼編とする。
SITさんは昭和35年(1960年)の入社、私の2年先輩になる。事務系で企画畑が長かったから、入社以来工場勤務20年の私とは長いこと言葉すら交わす機会はなかった。加えてチョッと普通の社員とは違うスノビッシュ(高踏)な感じがして、先輩だとは知りつつ挨拶すらしなかった。その彼と一気に親しくなるのは1979年秋に行われた管理職研修(通称松平研修)で一緒のクラスになってからである。
この研修は中堅課長10人弱が、浜名湖の北、三ケ日に在った研修所に集められ1週間コース2回にわたって行われるもので、一回目と二回目の間隔は23か月ある(一回目の行動計画結果フォローアップのため)。研修の概要は個々人の管理職としての資質分析とそれに基づくその後の行動改善計画を具体化・検証するもので、特に心理面からの資質分析に特色がある。この指導に当たる松平先生は桑名藩主の末裔、東大で心理学を学んだあと、海軍で航空機搭乗員の選抜をその面から担当し、この経験を基に企業研修ビジネスを行っていた。分析の素データは部下・同僚・上司(それぞれ3人)と本人に事前に配られた多岐にわたる詳細なアンケート結果(これはしばらく先生の手の内)。テーマを与えられ作文を書いたり絵を描かされたりする。それを材料に社会人(管理者ばかりではなく家庭人としても)としての問題点を浮き上がらせていくのである。そこでは当然SITさんのスノブな雰囲気が問題にされ、それがどこからきているのか生い立ちまで明らかになっていく(因みに私の問題点;マイペースで我が儘;本人納得)。参加者全員が裸にされるので、その後には何か“戦友意識”の様なものが形成され、本音の話が一気にし易くなる。
さて、1984年後半から本格化し始めた新会社創設である。新会社構想検討の正式手続きは、設立計画案を主管部門(情報システム室)が作り、課長会(全員ではなく部を代表する課長で構成)→部長会→経営会議と上げていくのだが、経営会議の議題になるまでには途中で何度もダメがでる。1985年に入ってからのことであるが、論点の一つとして“情報サービス産業の将来性”に関することが問題になったことがある。ユーザーとして深い関係があるIBMや富士通から得た情報、通産省(現経産省)や郵政省(現総務省)の息がかかった団体がまとめた業界予測などを揃えて“情報化時代を迎えて、如何にSE不足が深刻になっていくか”を、課長会で説明したことがある。説明役は私、SITさんは企画部代表の課長だった。課長会は「そんなもんか」と言うことで無事済んだが、会が終わるとSITさんが寄ってきて「俺はあんな数字信じないぞ」と言う。実は当時の情報サービス産業の実態、特に売上高利益率やSEの対価から、この数字があまりにも楽観的であると薄々は感じていた。
企画部の仕事は海外・国内調査と対官庁折衝(特に通産省)、外の数字に強いし役所に人脈もある。「もしやその線から、公開されている情報とは異なる話でも聞いているのだろうか?」そんな気もあって「何を根拠に、あれだけ出所のはっきりしているデータを認めないんですか?」と反問した。
返ってきた答えは予想もしないことだった。「昔本か何かで読んだことがあるんだが、アメリカで電話が普及し始めたころ、『もし各家庭に電話機が入ったら、電話交換手の数がとても足りない』と思われていたが、実際は自動交換機がその問題を解決した、とあった。SEも同じじゃないか?」「ウーン(参った!)」 しかし、紳士である彼はこれを課長会で蒸し返すことは無かった。
その後のプログラム開発用簡易言語や業務用パッケージの出現・普及、さらにはここ数年急速に拡大しつつあるクラウド・コンピューティング(自社内にコンピュータや業務アプリケーションソフトを持たない)環境を見れば、SITさんの予言は(当時とは別種のSEを必要とするが)、ズバッと本質を突いたものであった。

追記-1;祖父の代から3代続く大企業のサラリーマン(役員)家庭、都心の山の手住宅地に居住。昨日の通夜の裏方は母校学習院大学馬術部(今上天皇陛下も在籍された)。真の育ちの良さを“スノブ”と感じたのはこちらの育ち方の問題であった。

追記-2SPIN設立後56年経ったころ、当時日本ユニカー(ユニオンカーバイドと東燃化学の合弁会社)役員を務めていたSAIさんの紹介でユニオンの米国本社情報システム部(ニュージャージー州)訪問の機会を作ってもらい、そこでテキサスにある工場を含めて電話会議をしたことも印象的な出来事だった(本社にはプラント制御システム担当部門がないため)。こういう話を日本の顧客に話すだけでも営業活動の一助になった。

SITさん、大変お世話になりました。ありがとうございました。どうか安らかにおやすみください”

(次回;“新会社創設”つづく)」


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