2014年8月21日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-15


1.新会社創設(15
新会社の組織・人事については情報システム部に任された。また紆余曲折はあったが本体にシステム計画部を残すことも認められた。ただ新会社の役員人事だけは我々の関与する余地はなかった。
新会社の組織は、ビジネスシステム部、技術システム部、営業部の3部構成。前2部がシステム開発部門で、名前の通りそれぞれ事務系と技術系のアプリケーション開発を担当する。営業部は営業課の他、経理・人事・総務を担当する事務課、既存の汎用機オペレーションを担当するシステムサービス課の3課から成る。ビジネスシステム部の部長はもともと機械計算課(主に事務系アプリケーション開発)に所属し、その後監査部が設立された際監査課長に転出していたYNGMさんが戻ってきて努めることになった。また技術システム部長はTCS(東燃コントロールシステム;プロセス制御システム)の開発に当たり、その外部販売を私と一緒にやっていたTKWさんに決まる。営業部長は当面経営企画的な役割もあることから私に役割が廻ってきた。TTECシステム部でも主に営業を私が、技術をTKWさんが担当していたから、全体としても順当な布陣と言える。
人事に関する難しい問題は、新会社よりグループ全体の情報システムマネージメントの要となるシステム計画部である。ここは不要論も出た(すべて新会社でやればよいとの意見)ものを何とか“参謀本部”として高度専門職の少数精鋭で残すことになったが、部長に適任者がいない。仕方なく私が兼務する案がほぼ決まりかけていた。しかし、新会社の役員人事が決まった後、突然社長室から私は新会社に専念させ、別の人物を持ってくると告げられる。新部長になったのは2年先輩のTKGさん。一時数理システム課に籍を置いたことはあるものの、本来製造畑の人である。誰にも意外な人事だったし本人も驚いたようである。ただ川崎工場時代TKGさんは製油管理課長(工場運営の管制塔)、私はシステム技術課長として付き合いがあったから、情報システムについての考え方(私とはかなり異なるのだが)は分かっていたので、どう対応すべきかに不安は無かった。
さて、役員人事である。新会社検討段階からZ計画メンバーや情報システム部員が想定していた社長候補は部長のMTKさんである。現職の役員を含め彼以上にこの分野に精通している人はいないし、役員資格の理事である。しかし、事情を知る先輩の中には「発足時の社長は本社の役員が慣例」という人もいた。ふたを開けてみれば当にその通り。社長は技術・購買・情報システム管掌のMKN常務。MTKさんと東燃石油化学(TSK)の経理部長KKTさんが取締役に任命された。
MKNさんは私が新入社員で和歌山工場配属になったときの技術部製油技術課長、このポストの時代数理技術習得のために米国研修に出かけているが、その後川崎工場の製油部長や和歌山工場長を歴任し、技術系と言うよりは製造系、システム部門の経験は全くない。KKTさんは専ら経理の人。情報システムの経験は皆無。この人がここに登用されたのは副社長NKHさんの経理人脈からであろう。つまり実質はMTKさんが経営全体を取り仕切るのだが、平取締役。何か釈然としない人事であった。当時の気分は「この会社もつまるところ“受け皿会社”なのか?」であり、「これから!」の意気込みを著しく削がれたことは確かである。
ただ救いは、MTKさんが一切不平不満を口にしなかったこと(私はそれを口にし、KKTさんの役員任命反対をしゃべっていたことが本人に伝わっていた)、MKNさんもKKTさんもこの会社を動かせるのはMTKさんであることをよく承知して、そのような動きをしてくれたことである。


(次回;“新会社創設”つづく)

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